Re: 多読的精読?について

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/5/20(05:30)]

TOP HELP OPEN LOGIN    :    :



上へ上へ | 前へ前へ | 次へ次へ | ここから後の返信を全て表示ここから後の返信を全て表示 | 引用して返信を書き込む引用して返信を書き込む | 返信を書き込む返信を書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

[賛成] 756. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/3/25(11:42)

------------------------------

いづこさん、お風呂からこんにちは!
さかい@tadoku.orgです。

>さかいせんせー、こんばんは。いづこです。

>> 「さらっと読んで、深くわかる」

>この定義における私のお気に入りポイントは
>「さらっと読んで、「正しく」わかる」でなく、「深く」なことです。

>私は、最近ますます、「正しく」わかるのを求めることに興味を失っています♪

  うれしいなあ!
  こうやって意見交換!!

  で、「正しく」ではなくて[深く」というところを気に入ってくださって、
  「最近ますます「正しく」わかる」ことに興味を失っているとのこと、
  (ずっとそうかどうかは神のみぞ知るですが)
  いろいろ書きたいのだけれど、これから風呂を出て、服を着替えて、
  大学に行って、あしたの「最後の授業」の支度をしなければなりませぬ。

  このあとは、またあとで!

>しかし〜、さかいせんせー、今回あらためて思いあたりました。

>「さらっと読んで、深くわかる」
>というのは、「多読的精読」ではなく、「精読的多読」なのではないでしょうか??

>「多読的精読」の話題を待つ方たちの興味は、どんなふうに「行う」のが「多読的精読」なのか?
>ということなのではないでしょうか。(違っていましたら申し訳ありません。)

>ある程度(かなり?)「多読」して、その後にどう進むことが可能なのか?
>その道の一本として、期待されているのかな、と。
>もちろんそれを待っている人ばかりでなく、もういろいろにつき進んでいる方たちも多いと思いますが。
>さかいせんせーならどうなのか?という興味をお持ちの方がいらしゃるのかな、と。

>そうだとしたら、「さらっと読んで、深くわかる」だと、結果論的な響きを感じるので、
>どういう方策で?というものがあるようには感じられない気がします。
>多読をしていて、深くわかるときもあれば、深くはわからないけれど・・・というときもある。

>結局「どこまでも多読!」ということでしょうか?そうならば、それはそれでいいなと思います。

>あ、でも「方策」として、

>>*さらっと読んで、深くわかるには、
>> 劇薬シャドーイングでことばのリズムやメロディーを体感することがいちばん
>> かもしれません。まだ予感の段階ですが。

>と、示されていますね。
>まだ予感の段階であっても、「方法論」なのですね。(と、受け取っております。)
>わたしの「ひっかかり」は、ただ「多読的精読」という言い方についてだけのようです。

>私としては、この意味で(さかいせんせーとは異なる意味で)

>>*そこでわたしはこれからは多読的精読という言い方を使うのはやめにしようと
>> 思います。

>ここ、さんせーです。
> 
>で、代わりのことばは何になりますか?という興味もありますが・・・
>ま、いーです。笑
> 
> 
>今は昔、私も「多読的精読」に関するさかいせんせーや、みなさんのご見解を
>待っていたひとりだったと思います。(忘れかけています・・・汗)
> 
>多読の次の段階として、だったのかな?たぶんそう。
> 
> 
>今、私は、

>ある人が英語を始めるなら「多読」で。
>ある程度のところまで「多読」で。

>そして

>終わりまで「多読」で行って、そこで英語と縁を切るのもよし、
>終わっているんだか続けているんだかわからない状態で「多読」を続けるもよし
>きっと自分に必要な次の段階は「文法だ」と、「文法」コースに入るもよし、そしてまた「多読」に戻るもよし。

>・・・みたいにできるといいのになあ〜、と思っています。
> 
> 
>なお、私の定義する「多読」は、もういろいろなものを含むようになってきていて
>「読み聞かせ、歌、ミュージカル」や
>「多読、多聴、多観、多話、多書、シャドーイング」など、

>学校のカリキュラムと関係ないもの、自分(たち)の興味で素材など選べるもの、自分で関わりの程度を決められるもの
>問題を解かないもの、正しいとか間違っているとかあなたの英語はどの程度とか、判定を他者から受けないもの
>・・・などの総称として、概念を表すことばとして使ってしまっております。
> 
> 
>こんなふうにできるのなら、
>「さらっと読んで深くわかる」のは、
>ねらうことではなく、ときどき、そしてやがてしょっちゅう起きること、になるのではないかなあ〜。

>「多読的精読」について
>昔は待っていたかもしれないのですが、
>もう、(与えてもらうものとして)待ってはおりません。
>でもさかいせんせーが発表されたら、興味を持って読ませていただきます。
>そして自分に取り入れらることなら、取り入れるぞ、という姿勢で、てぐすね引いて待っております。

>では〜。

>いづこ


上へ上へ | 前へ前へ | 次へ次へ | ここから後の返信を全て表示ここから後の返信を全て表示 | 引用して返信を書き込む引用して返信を書き込む | 返信を書き込む返信を書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

757. Re: いちねんせーちゃんについて

ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/3/29(00:24)

------------------------------

さかいせんせー、またまたこんにちは。
ひとりいろりばたにさかいせんせーをよびだすいづこです。

先日は、最終講義の前日に空気の読めない投稿をしてすみませんでした。
思いつきを書いただけなので、お返事はどうかお気遣いなく。

今回の「ぴっかぴっかのいっちねんせー」に関しても、もそうだったりします・・・。(思いつき〜)
以下の推測は、このケースにあてはまらないのかもしれないですが。
 
 
ワタクシ、最近算数の方にも手を出しておりまして
「算数」も、どうやら「英語」と同じく

「標本」化しているのじゃないか?

と思っております。

足す引く掛ける割るの四則計算は、計算問題としてそこに並ぶとただの「標本」なのです!

最近は、スモールステップ、多量で機械的な処理を提供するワークやドリルに慣れている子どもが増えていて、
ひとつひとつが合っていてもらえるマル
全部合っていてもらえる花マル、
おとうさん、おかあさんのほめことば、などが嬉しくて
どんどん進んでいける子も多いようですが、

やっぱり子どもにもいろいろなタイプの子がいるのです。
そのいちねんせーちゃんは、「6たす3」に、物語を求めているのじゃないかなー、と思います。
それも、標本化を前提とした文章題でなく、
ちゃんと、わくわく興味の持てる物語。その中にある、6に3を足す必然性。6に3を足す意味が見えること。

そういうことをたくさん感じてからでないと、計算する意味がわからないのかもしれません。
それはとってもまともなことだと思います。

ワークやドリルを心から楽しくてやっている子はいいですが、
本当は「物語」を楽しみたいタイプなのに、ドリルのマルの嬉しさにはめられている子が、
結構いるのじゃないかなあ。
問題文を「理解」しない、それはとりもなおさず、「わかっていない」のだと思います。

学校の教科書の文章題は、標本化を前提としたもののようです。
一問(数問?)やりかたが説明されていて、
問題文の前の方から数字をひろって、説明の例題と同じ符号(+−×÷)をはさんで、
機械的に数字を並べて計算する。

その単元を抜けたあとは、その意味を忘れてしまう。
前学年の全範囲から出題されるテストなどでは、考えかたなどまったくワカラナイ!
 
「標本vs.物語」の問題は、英語だけでなく、算数の問題でもあったようです。

あ、ブログにかかれたいちねんせーちゃんについては、

>なんと一桁の足し算ができるらしいと判明。
 
とのことでしたので、それはきっと、何か(実績を示すもの?)で「できる」ことがわかったのだと思いますので、
上に書いたことはあてはまらないのかもしれませんが。

で、結局ワタシは、
英語も算数も、きっと他の教科も、
「物語」のない標本ドリルの大量機械的処理の訓練が
結局は、子どもたちを「ちゃんとわかる」ことから遠ざけていないかなー、
もしかしてそれが学力低下の原因?
とか
思っているのでした。

いづこ@いつもエラソーにすみません  でした。


上へ上へ | 前へ前へ | 次へ次へ | ここから後の返信を全て表示ここから後の返信を全て表示 | 引用して返信を書き込む引用して返信を書き込む | 返信を書き込む返信を書き込む | 訂正する訂正する | 削除する削除する

[♪] 767. Re: いちねんせーちゃんについて

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/4/24(01:36)

------------------------------

いづこさん、大変遅くなりました。
さかい@tadoku.orgです。

>さかいせんせー、またまたこんにちは。
>ひとりいろりばたにさかいせんせーをよびだすいづこです。

>先日は、最終講義の前日に空気の読めない投稿をしてすみませんでした。
>思いつきを書いただけなので、お返事はどうかお気遣いなく。

  これは「新しい旅立ち・・・」に関わる大事な問題なので、
  時間ができたらちゃんとお返事しようと思って、遅くなりました。

  いまうまい具合に時間ができたので・・・
  というわけではないので、どの程度「ちゃんと」お返事できるか、
  心配ではあるのですが、何人かの方からメールをいただいているし、
  これからしばらくは「わからない・わかる」という話題で
  「新しい旅立ち・・・」を掘り下げようかと思います。

>今回の「ぴっかぴっかのいっちねんせー」に関しても、もそうだったりします・・・。(思いつき〜)
>以下の推測は、このケースにあてはまらないのかもしれないですが。
> 
> 
>ワタクシ、最近算数の方にも手を出しておりまして
>「算数」も、どうやら「英語」と同じく

>「標本」化しているのじゃないか?

>と思っております。

>足す引く掛ける割るの四則計算は、計算問題としてそこに並ぶとただの「標本」なのです!

  おー、数学も!

>最近は、スモールステップ、多量で機械的な処理を提供するワークやドリルに慣れている
子どもが増えていて、
>ひとつひとつが合っていてもらえるマル
>全部合っていてもらえる花マル、
>おとうさん、おかあさんのほめことば、などが嬉しくて
>どんどん進んでいける子も多いようですが、

  このあたり、ぼくが普通のいすに座っていたら膝を打つところ。

    (実はかなり前からぼくも「スモール・ステップ」に大きな
     疑問を抱いておりまして、というのはまた別に語ることにしましょう。)

  もう一つ、少々刺激的な表現をすると、「機械的作業」には同じように
  大いに疑問を抱いております。

  そして極めつけ、褒められるために 必死で努力するこどもの危うさ・・・

>やっぱり子どもにもいろいろなタイプの子がいるのです。
>そのいちねんせーちゃんは、「6たす3」に、物語を求めているのじゃないかなー、と思います。
>それも、標本化を前提とした文章題でなく、
>ちゃんと、わくわく興味の持てる物語。その中にある、6に3を足す必然性。6に3を足す意味が見えること。

  ここに、もう一度膝を打ちたくなります。
  たしかに物語を求めているのかもしれません。
  どうして 6 が出てきて、 そこにどうして 3 が現れて、
  そして 二つを たす のか? それが気になったんだろうなあ・・・

>そういうことをたくさん感じてからでないと、計算する意味がわからないのかもしれません。
>それはとってもまともなことだと思います。

  6+3= にあの子は物語を求めていたんだと考えると、
  こどもの世界(?)って、いっぱいいろいろなことが詰まっているんだ!
  という気がしてくる。

>ワークやドリルを心から楽しくてやっている子はいいですが、
>本当は「物語」を楽しみたいタイプなのに、ドリルのマルの嬉しさにはめられている子が、
>結構いるのじゃないかなあ。
>問題文を「理解」しない、それはとりもなおさず、「わかっていない」のだと思います。

>学校の教科書の文章題は、標本化を前提としたもののようです。
>一問(数問?)やりかたが説明されていて、
>問題文の前の方から数字をひろって、説明の例題と同じ符号(+−×÷)をはさんで、
>機械的に数字を並べて計算する。

>その単元を抜けたあとは、その意味を忘れてしまう。
>前学年の全範囲から出題されるテストなどでは、考えかたなどまったくワカラナイ!
> 
>「標本vs.物語」の問題は、英語だけでなく、算数の問題でもあったようです。

  あの子をその後見てません。
  住むところが見つかって避難所を出て行ったのかな?

>あ、ブログにかかれたいちねんせーちゃんについては、

>>なんと一桁の足し算ができるらしいと判明。
> 
>とのことでしたので、それはきっと、何か(実績を示すもの?)で「できる」ことが
わかったのだと思いますので、
>上に書いたことはあてはまらないのかもしれませんが。

  いえいえ、当てはまるとぼくには思えた。

>で、結局ワタシは、
>英語も算数も、きっと他の教科も、
>「物語」のない標本ドリルの大量機械的処理の訓練が
>結局は、子どもたちを「ちゃんとわかる」ことから遠ざけていないかなー、
>もしかしてそれが学力低下の原因?
>とか
>思っているのでした。

>いづこ@いつもエラソーにすみません  でした。

世の中は、機械的作業をできるだけ早く片付けられること−−
それが学力だと思い込んでいるんでしょうが、
(100マス計算もそうだし、ぼくが管見した公文の英語もそうだった)
もっと計りにくい、計れない「力」はそもそも存在しないことに
なってるんでしょうね。

  (公文の問題では計れない力−−物語を望む気持ち)

ぼくはもう一度ずいぶん前のブログの記事を振り返って読みました。

http://tadoku.org/old-blog/archives/2008/02/11_1514.html#more

↑ これは算数のところを読んでください。

http://tadoku.org/old-blog/archives/2007/03/16_2323.html

↑ こちらは「物語の力」のところを!



Maintenance: tadoku.org
KINOBOARDS/1.0 R7.3: Copyright © 1995-2000 NAKAMURA, Hiroshi.