多読的精読?について

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/9/21(11:27)]

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755. 多読的精読?について

ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/3/25(00:33)

------------------------------

さかいせんせー、こんばんは。いづこです。

> 「さらっと読んで、深くわかる」

この定義における私のお気に入りポイントは
「さらっと読んで、「正しく」わかる」でなく、「深く」なことです。

私は、最近ますます、「正しく」わかるのを求めることに興味を失っています♪

しかし〜、さかいせんせー、今回あらためて思いあたりました。

「さらっと読んで、深くわかる」
というのは、「多読的精読」ではなく、「精読的多読」なのではないでしょうか??

「多読的精読」の話題を待つ方たちの興味は、どんなふうに「行う」のが「多読的精読」なのか?
ということなのではないでしょうか。(違っていましたら申し訳ありません。)

ある程度(かなり?)「多読」して、その後にどう進むことが可能なのか?
その道の一本として、期待されているのかな、と。
もちろんそれを待っている人ばかりでなく、もういろいろにつき進んでいる方たちも多いと思いますが。
さかいせんせーならどうなのか?という興味をお持ちの方がいらしゃるのかな、と。

そうだとしたら、「さらっと読んで、深くわかる」だと、結果論的な響きを感じるので、
どういう方策で?というものがあるようには感じられない気がします。
多読をしていて、深くわかるときもあれば、深くはわからないけれど・・・というときもある。

結局「どこまでも多読!」ということでしょうか?そうならば、それはそれでいいなと思います。

あ、でも「方策」として、

>*さらっと読んで、深くわかるには、
> 劇薬シャドーイングでことばのリズムやメロディーを体感することがいちばん
> かもしれません。まだ予感の段階ですが。

と、示されていますね。
まだ予感の段階であっても、「方法論」なのですね。(と、受け取っております。)
わたしの「ひっかかり」は、ただ「多読的精読」という言い方についてだけのようです。

私としては、この意味で(さかいせんせーとは異なる意味で)

>*そこでわたしはこれからは多読的精読という言い方を使うのはやめにしようと
> 思います。

ここ、さんせーです。
 
で、代わりのことばは何になりますか?という興味もありますが・・・
ま、いーです。笑
 
 
今は昔、私も「多読的精読」に関するさかいせんせーや、みなさんのご見解を
待っていたひとりだったと思います。(忘れかけています・・・汗)
 
多読の次の段階として、だったのかな?たぶんそう。
 
 
今、私は、

ある人が英語を始めるなら「多読」で。
ある程度のところまで「多読」で。

そして

終わりまで「多読」で行って、そこで英語と縁を切るのもよし、
終わっているんだか続けているんだかわからない状態で「多読」を続けるもよし
きっと自分に必要な次の段階は「文法だ」と、「文法」コースに入るもよし、そしてまた「多読」に戻るもよし。

・・・みたいにできるといいのになあ〜、と思っています。
 
 
なお、私の定義する「多読」は、もういろいろなものを含むようになってきていて
「読み聞かせ、歌、ミュージカル」や
「多読、多聴、多観、多話、多書、シャドーイング」など、

学校のカリキュラムと関係ないもの、自分(たち)の興味で素材など選べるもの、自分で関わりの程度を決められるもの
問題を解かないもの、正しいとか間違っているとかあなたの英語はどの程度とか、判定を他者から受けないもの
・・・などの総称として、概念を表すことばとして使ってしまっております。
 
 
こんなふうにできるのなら、
「さらっと読んで深くわかる」のは、
ねらうことではなく、ときどき、そしてやがてしょっちゅう起きること、になるのではないかなあ〜。

「多読的精読」について
昔は待っていたかもしれないのですが、
もう、(与えてもらうものとして)待ってはおりません。
でもさかいせんせーが発表されたら、興味を持って読ませていただきます。
そして自分に取り入れらることなら、取り入れるぞ、という姿勢で、てぐすね引いて待っております。

では〜。

いづこ


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[賛成] 756. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/3/25(11:42)

------------------------------

いづこさん、お風呂からこんにちは!
さかい@tadoku.orgです。

>さかいせんせー、こんばんは。いづこです。

>> 「さらっと読んで、深くわかる」

>この定義における私のお気に入りポイントは
>「さらっと読んで、「正しく」わかる」でなく、「深く」なことです。

>私は、最近ますます、「正しく」わかるのを求めることに興味を失っています♪

  うれしいなあ!
  こうやって意見交換!!

  で、「正しく」ではなくて[深く」というところを気に入ってくださって、
  「最近ますます「正しく」わかる」ことに興味を失っているとのこと、
  (ずっとそうかどうかは神のみぞ知るですが)
  いろいろ書きたいのだけれど、これから風呂を出て、服を着替えて、
  大学に行って、あしたの「最後の授業」の支度をしなければなりませぬ。

  このあとは、またあとで!

>しかし〜、さかいせんせー、今回あらためて思いあたりました。

>「さらっと読んで、深くわかる」
>というのは、「多読的精読」ではなく、「精読的多読」なのではないでしょうか??

>「多読的精読」の話題を待つ方たちの興味は、どんなふうに「行う」のが「多読的精読」なのか?
>ということなのではないでしょうか。(違っていましたら申し訳ありません。)

>ある程度(かなり?)「多読」して、その後にどう進むことが可能なのか?
>その道の一本として、期待されているのかな、と。
>もちろんそれを待っている人ばかりでなく、もういろいろにつき進んでいる方たちも多いと思いますが。
>さかいせんせーならどうなのか?という興味をお持ちの方がいらしゃるのかな、と。

>そうだとしたら、「さらっと読んで、深くわかる」だと、結果論的な響きを感じるので、
>どういう方策で?というものがあるようには感じられない気がします。
>多読をしていて、深くわかるときもあれば、深くはわからないけれど・・・というときもある。

>結局「どこまでも多読!」ということでしょうか?そうならば、それはそれでいいなと思います。

>あ、でも「方策」として、

>>*さらっと読んで、深くわかるには、
>> 劇薬シャドーイングでことばのリズムやメロディーを体感することがいちばん
>> かもしれません。まだ予感の段階ですが。

>と、示されていますね。
>まだ予感の段階であっても、「方法論」なのですね。(と、受け取っております。)
>わたしの「ひっかかり」は、ただ「多読的精読」という言い方についてだけのようです。

>私としては、この意味で(さかいせんせーとは異なる意味で)

>>*そこでわたしはこれからは多読的精読という言い方を使うのはやめにしようと
>> 思います。

>ここ、さんせーです。
> 
>で、代わりのことばは何になりますか?という興味もありますが・・・
>ま、いーです。笑
> 
> 
>今は昔、私も「多読的精読」に関するさかいせんせーや、みなさんのご見解を
>待っていたひとりだったと思います。(忘れかけています・・・汗)
> 
>多読の次の段階として、だったのかな?たぶんそう。
> 
> 
>今、私は、

>ある人が英語を始めるなら「多読」で。
>ある程度のところまで「多読」で。

>そして

>終わりまで「多読」で行って、そこで英語と縁を切るのもよし、
>終わっているんだか続けているんだかわからない状態で「多読」を続けるもよし
>きっと自分に必要な次の段階は「文法だ」と、「文法」コースに入るもよし、そしてまた「多読」に戻るもよし。

>・・・みたいにできるといいのになあ〜、と思っています。
> 
> 
>なお、私の定義する「多読」は、もういろいろなものを含むようになってきていて
>「読み聞かせ、歌、ミュージカル」や
>「多読、多聴、多観、多話、多書、シャドーイング」など、

>学校のカリキュラムと関係ないもの、自分(たち)の興味で素材など選べるもの、自分で関わりの程度を決められるもの
>問題を解かないもの、正しいとか間違っているとかあなたの英語はどの程度とか、判定を他者から受けないもの
>・・・などの総称として、概念を表すことばとして使ってしまっております。
> 
> 
>こんなふうにできるのなら、
>「さらっと読んで深くわかる」のは、
>ねらうことではなく、ときどき、そしてやがてしょっちゅう起きること、になるのではないかなあ〜。

>「多読的精読」について
>昔は待っていたかもしれないのですが、
>もう、(与えてもらうものとして)待ってはおりません。
>でもさかいせんせーが発表されたら、興味を持って読ませていただきます。
>そして自分に取り入れらることなら、取り入れるぞ、という姿勢で、てぐすね引いて待っております。

>では〜。

>いづこ


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757. Re: いちねんせーちゃんについて

ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/3/29(00:24)

------------------------------

さかいせんせー、またまたこんにちは。
ひとりいろりばたにさかいせんせーをよびだすいづこです。

先日は、最終講義の前日に空気の読めない投稿をしてすみませんでした。
思いつきを書いただけなので、お返事はどうかお気遣いなく。

今回の「ぴっかぴっかのいっちねんせー」に関しても、もそうだったりします・・・。(思いつき〜)
以下の推測は、このケースにあてはまらないのかもしれないですが。
 
 
ワタクシ、最近算数の方にも手を出しておりまして
「算数」も、どうやら「英語」と同じく

「標本」化しているのじゃないか?

と思っております。

足す引く掛ける割るの四則計算は、計算問題としてそこに並ぶとただの「標本」なのです!

最近は、スモールステップ、多量で機械的な処理を提供するワークやドリルに慣れている子どもが増えていて、
ひとつひとつが合っていてもらえるマル
全部合っていてもらえる花マル、
おとうさん、おかあさんのほめことば、などが嬉しくて
どんどん進んでいける子も多いようですが、

やっぱり子どもにもいろいろなタイプの子がいるのです。
そのいちねんせーちゃんは、「6たす3」に、物語を求めているのじゃないかなー、と思います。
それも、標本化を前提とした文章題でなく、
ちゃんと、わくわく興味の持てる物語。その中にある、6に3を足す必然性。6に3を足す意味が見えること。

そういうことをたくさん感じてからでないと、計算する意味がわからないのかもしれません。
それはとってもまともなことだと思います。

ワークやドリルを心から楽しくてやっている子はいいですが、
本当は「物語」を楽しみたいタイプなのに、ドリルのマルの嬉しさにはめられている子が、
結構いるのじゃないかなあ。
問題文を「理解」しない、それはとりもなおさず、「わかっていない」のだと思います。

学校の教科書の文章題は、標本化を前提としたもののようです。
一問(数問?)やりかたが説明されていて、
問題文の前の方から数字をひろって、説明の例題と同じ符号(+−×÷)をはさんで、
機械的に数字を並べて計算する。

その単元を抜けたあとは、その意味を忘れてしまう。
前学年の全範囲から出題されるテストなどでは、考えかたなどまったくワカラナイ!
 
「標本vs.物語」の問題は、英語だけでなく、算数の問題でもあったようです。

あ、ブログにかかれたいちねんせーちゃんについては、

>なんと一桁の足し算ができるらしいと判明。
 
とのことでしたので、それはきっと、何か(実績を示すもの?)で「できる」ことがわかったのだと思いますので、
上に書いたことはあてはまらないのかもしれませんが。

で、結局ワタシは、
英語も算数も、きっと他の教科も、
「物語」のない標本ドリルの大量機械的処理の訓練が
結局は、子どもたちを「ちゃんとわかる」ことから遠ざけていないかなー、
もしかしてそれが学力低下の原因?
とか
思っているのでした。

いづこ@いつもエラソーにすみません  でした。


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[♪] 767. Re: いちねんせーちゃんについて

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/4/24(01:36)

------------------------------

いづこさん、大変遅くなりました。
さかい@tadoku.orgです。

>さかいせんせー、またまたこんにちは。
>ひとりいろりばたにさかいせんせーをよびだすいづこです。

>先日は、最終講義の前日に空気の読めない投稿をしてすみませんでした。
>思いつきを書いただけなので、お返事はどうかお気遣いなく。

  これは「新しい旅立ち・・・」に関わる大事な問題なので、
  時間ができたらちゃんとお返事しようと思って、遅くなりました。

  いまうまい具合に時間ができたので・・・
  というわけではないので、どの程度「ちゃんと」お返事できるか、
  心配ではあるのですが、何人かの方からメールをいただいているし、
  これからしばらくは「わからない・わかる」という話題で
  「新しい旅立ち・・・」を掘り下げようかと思います。

>今回の「ぴっかぴっかのいっちねんせー」に関しても、もそうだったりします・・・。(思いつき〜)
>以下の推測は、このケースにあてはまらないのかもしれないですが。
> 
> 
>ワタクシ、最近算数の方にも手を出しておりまして
>「算数」も、どうやら「英語」と同じく

>「標本」化しているのじゃないか?

>と思っております。

>足す引く掛ける割るの四則計算は、計算問題としてそこに並ぶとただの「標本」なのです!

  おー、数学も!

>最近は、スモールステップ、多量で機械的な処理を提供するワークやドリルに慣れている
子どもが増えていて、
>ひとつひとつが合っていてもらえるマル
>全部合っていてもらえる花マル、
>おとうさん、おかあさんのほめことば、などが嬉しくて
>どんどん進んでいける子も多いようですが、

  このあたり、ぼくが普通のいすに座っていたら膝を打つところ。

    (実はかなり前からぼくも「スモール・ステップ」に大きな
     疑問を抱いておりまして、というのはまた別に語ることにしましょう。)

  もう一つ、少々刺激的な表現をすると、「機械的作業」には同じように
  大いに疑問を抱いております。

  そして極めつけ、褒められるために 必死で努力するこどもの危うさ・・・

>やっぱり子どもにもいろいろなタイプの子がいるのです。
>そのいちねんせーちゃんは、「6たす3」に、物語を求めているのじゃないかなー、と思います。
>それも、標本化を前提とした文章題でなく、
>ちゃんと、わくわく興味の持てる物語。その中にある、6に3を足す必然性。6に3を足す意味が見えること。

  ここに、もう一度膝を打ちたくなります。
  たしかに物語を求めているのかもしれません。
  どうして 6 が出てきて、 そこにどうして 3 が現れて、
  そして 二つを たす のか? それが気になったんだろうなあ・・・

>そういうことをたくさん感じてからでないと、計算する意味がわからないのかもしれません。
>それはとってもまともなことだと思います。

  6+3= にあの子は物語を求めていたんだと考えると、
  こどもの世界(?)って、いっぱいいろいろなことが詰まっているんだ!
  という気がしてくる。

>ワークやドリルを心から楽しくてやっている子はいいですが、
>本当は「物語」を楽しみたいタイプなのに、ドリルのマルの嬉しさにはめられている子が、
>結構いるのじゃないかなあ。
>問題文を「理解」しない、それはとりもなおさず、「わかっていない」のだと思います。

>学校の教科書の文章題は、標本化を前提としたもののようです。
>一問(数問?)やりかたが説明されていて、
>問題文の前の方から数字をひろって、説明の例題と同じ符号(+−×÷)をはさんで、
>機械的に数字を並べて計算する。

>その単元を抜けたあとは、その意味を忘れてしまう。
>前学年の全範囲から出題されるテストなどでは、考えかたなどまったくワカラナイ!
> 
>「標本vs.物語」の問題は、英語だけでなく、算数の問題でもあったようです。

  あの子をその後見てません。
  住むところが見つかって避難所を出て行ったのかな?

>あ、ブログにかかれたいちねんせーちゃんについては、

>>なんと一桁の足し算ができるらしいと判明。
> 
>とのことでしたので、それはきっと、何か(実績を示すもの?)で「できる」ことが
わかったのだと思いますので、
>上に書いたことはあてはまらないのかもしれませんが。

  いえいえ、当てはまるとぼくには思えた。

>で、結局ワタシは、
>英語も算数も、きっと他の教科も、
>「物語」のない標本ドリルの大量機械的処理の訓練が
>結局は、子どもたちを「ちゃんとわかる」ことから遠ざけていないかなー、
>もしかしてそれが学力低下の原因?
>とか
>思っているのでした。

>いづこ@いつもエラソーにすみません  でした。

世の中は、機械的作業をできるだけ早く片付けられること−−
それが学力だと思い込んでいるんでしょうが、
(100マス計算もそうだし、ぼくが管見した公文の英語もそうだった)
もっと計りにくい、計れない「力」はそもそも存在しないことに
なってるんでしょうね。

  (公文の問題では計れない力−−物語を望む気持ち)

ぼくはもう一度ずいぶん前のブログの記事を振り返って読みました。

http://tadoku.org/old-blog/archives/2008/02/11_1514.html#more

↑ これは算数のところを読んでください。

http://tadoku.org/old-blog/archives/2007/03/16_2323.html

↑ こちらは「物語の力」のところを!


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[賛成] 758. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/3/29(23:20)

------------------------------

いづこさん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

やっと返信しようと思ったら、もう次の投稿!
そちらも大返信したいのだけれど、ちょっと待ってください!
こっちが先・・・

>さかいせんせー、こんばんは。いづこです。

>> 「さらっと読んで、深くわかる」

>この定義における私のお気に入りポイントは
>「さらっと読んで、「正しく」わかる」でなく、「深く」なことです。

>私は、最近ますます、「正しく」わかるのを求めることに興味を失っています♪

  まったくその通りであります。

  で、ぼくはいづこさんに指摘されてはじめて、
  「そうだ! そこだよな、大事なのは!」と思いましたよ。

>しかし〜、さかいせんせー、今回あらためて思いあたりました。

  このあと・・・ ↓ もっと早く言ってくれるよかったのに・・・
  と思いましたが、ぼくがあまりに鈍かっただけのことですね。

>「さらっと読んで、深くわかる」
>というのは、「多読的精読」ではなく、「精読的多読」なのではないでしょうか??

  なるほど、です。
  なるほど「・・的精読」というから、
  今まで通りの「精読」の変形と思ってしまうんでしょうね。

>「多読的精読」の話題を待つ方たちの興味は、どんなふうに「行う」のが「多読的精読」なのか?
>ということなのではないでしょうか。(違っていましたら申し訳ありません。)

  いや、ぼくにも違っているかどうか、わからないのですよ。
  でも、言われてみるといづこさんの言う通りのように思えます。

>ある程度(かなり?)「多読」して、その後にどう進むことが可能なのか?
>その道の一本として、期待されているのかな、と。
>もちろんそれを待っている人ばかりでなく、もういろいろにつき進んでいる方たちも多いと思いますが。
>さかいせんせーならどうなのか?という興味をお持ちの方がいらしゃるのかな、と。

>そうだとしたら、「さらっと読んで、深くわかる」だと、結果論的な響きを感じるので、
>どういう方策で?というものがあるようには感じられない気がします。
>多読をしていて、深くわかるときもあれば、深くはわからないけれど・・・というときもある。

  うーん、鋭い突っ込みですね。
  考えてもみなかったことばかりで、おたおたしてます。

  でも、これもその通りで、
  方策というのは、考えていなかった。
  
>結局「どこまでも多読!」ということでしょうか?そうならば、それはそれでいいなと思います。

  多読をしていればいつか「多読的精読」に至ると思ってました、だれでも。

>あ、でも「方策」として、

>>*さらっと読んで、深くわかるには、
>> 劇薬シャドーイングでことばのリズムやメロディーを体感することがいちばん
>> かもしれません。まだ予感の段階ですが。

>と、示されていますね。
>まだ予感の段階であっても、「方法論」なのですね。(と、受け取っております。)
>わたしの「ひっかかり」は、ただ「多読的精読」という言い方についてだけのようです。

  ところが、どうしても「精読」の影がつきまとう場合があるわけです。
  これはもうつきまとう影を無理矢理切らなければ行けないかと思って、
  劇薬シャドーイングを提案しました。

  多読からそのまま「さらふか」(さらっと読んでふかーく分かる)に
  達するのがむずかしいのは、過去のしがらみのせいではないか?
  ならば、切ってしまえ! というわけです。

  ただ乱暴なだけじゃなくて、をさなごはそうやってことばを吸収していく
  と、ぼくは思います。(おとなでも、ぼくが講演の中で話す英語を
  無意識に繰り返す人がかならずいます。)
  意味もわからないことばを ま・ず・は・復・唱・す・る
  そこで、リズムやメロディーを体にしみこませると、
  ことばの持つ深い意味が溶けるように(?)体に入っていく?

>私としては、この意味で(さかいせんせーとは異なる意味で)

>>*そこでわたしはこれからは多読的精読という言い方を使うのはやめにしようと
>> 思います。

>ここ、さんせーです。
> 
>で、代わりのことばは何になりますか?という興味もありますが・・・
>ま、いーです。笑

  はい、「もっと早く」いづこさんの「精読的多読」を知りたかった。
  いまはもう「精読」という「忌まわしい」表現そのものを
  きっぱりと捨てようと思います。

  で、代わりに使いたいことばは・・・ まだ、ない・・・

>今は昔、私も「多読的精読」に関するさかいせんせーや、みなさんのご見解を
>待っていたひとりだったと思います。(忘れかけています・・・汗)
> 
>多読の次の段階として、だったのかな?たぶんそう。
> 
> 
>今、私は、

>ある人が英語を始めるなら「多読」で。
>ある程度のところまで「多読」で。

>そして

>終わりまで「多読」で行って、そこで英語と縁を切るのもよし、
>終わっているんだか続けているんだかわからない状態で「多読」を続けるもよし
>きっと自分に必要な次の段階は「文法だ」と、「文法」コースに入るもよし、そしてまた「多読」に戻るもよし。

>・・・みたいにできるといいのになあ〜、と思っています。

  なるほど。
  文法コースを行った人は何人もいますが、
  だれも生還していない・・・
  ・・・は、嘘ですが、それで何か飛躍したという話は
  聞いたことがないような?

  「確かめることができた」ということは聞いたことがあります。
  また、(すでに何度も書いていますが)ぼくの多読クラスの電通大生は 
  Grammar in Use を「楽しい」と言いますが。

>なお、私の定義する「多読」は、もういろいろなものを含むようになってきていて
>「読み聞かせ、歌、ミュージカル」や
>「多読、多聴、多観、多話、多書、シャドーイング」など、

>学校のカリキュラムと関係ないもの、自分(たち)の興味で素材など選べるもの、自分で関わりの程度を決められるもの
>問題を解かないもの、正しいとか間違っているとかあなたの英語はどの程度とか、判定を他者から受けないもの
>・・・などの総称として、概念を表すことばとして使ってしまっております。

  わぁー!!! ぼくもそうなので、だから tadoku と
  アルファベットで書いたりするのです!!

  よい総称ですね。

  さっき代わりに使いたいことばがないと書きましたが、
  みなさんが構わなければ tadoku という表記もあるかなと
  秘かに思っていますが・・・

  しかしこれはわかりにくいだろうなあ・・・
  いづこさん、どう思います?

>こんなふうにできるのなら、
>「さらっと読んで深くわかる」のは、
>ねらうことではなく、ときどき、そしてやがてしょっちゅう起きること、になるのではないかなあ〜。

  はい。まったくその通りだと思います。
  ある日突然「さらっと読んで ふかーくわかる」ようになるわけではなく、
  だんだんだんだん 深くなっていくんでしょうね。

>「多読的精読」について
>昔は待っていたかもしれないのですが、
>もう、(与えてもらうものとして)待ってはおりません。
>でもさかいせんせーが発表されたら、興味を持って読ませていただきます。
>そして自分に取り入れらることなら、取り入れるぞ、という姿勢で、てぐすね引いて待っております。

>では〜。

>いづこ

ありがとう。

こうやって意見交換をするのはぼくにとって上善です。
どんと書いて、どんとぶつかってきて、どんと返す・・・

これからもよろしくお願いします。
(じゃなかった、次の返信があります。でもきょうはもう寝ます・・・)


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765. Re: ちょっぴり。

ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/4/5(01:34)

------------------------------

さかいせんせー、こんにちは。いづこ@ちょっぴりですむかなあ? です。
 
 
>>私は、最近ますます、「正しく」わかるのを求めることに興味を失っています♪

>  まったくその通りであります。

>  で、ぼくはいづこさんに指摘されてはじめて、
>  「そうだ! そこだよな、大事なのは!」と思いましたよ。

ししし、指摘???ですかぁ〜?
いえ、自分の勝手な感想を述べただけなんですが・・・(おろおろ)
 
 
>>しかし〜、さかいせんせー、今回あらためて思いあたりました。

>  このあと・・・ ↓ もっと早く言ってくれるよかったのに・・・
>  と思いましたが、ぼくがあまりに鈍かっただけのことですね。

>>「さらっと読んで、深くわかる」
>>というのは、「多読的精読」ではなく、「精読的多読」なのではないでしょうか??
 
だ、だって、今回思いあたったのですから〜。「早く」はムリです〜。
私も鈍いんですから・・・。 
 
 

>  なるほど、です。
>  なるほど「・・的精読」というから、
>  今まで通りの「精読」の変形と思ってしまうんでしょうね。

>>「多読的精読」の話題を待つ方たちの興味は、どんなふうに「行う」のが「多読的精読」なのか?
>>ということなのではないでしょうか。(違っていましたら申し訳ありません。)

>  いや、ぼくにも違っているかどうか、わからないのですよ。
>  でも、言われてみるといづこさんの言う通りのように思えます。

>>ある程度(かなり?)「多読」して、その後にどう進むことが可能なのか?
>>その道の一本として、期待されているのかな、と。
>>もちろんそれを待っている人ばかりでなく、もういろいろにつき進んでいる方たちも多いと思いますが。
>>さかいせんせーならどうなのか?という興味をお持ちの方がいらしゃるのかな、と。

>>そうだとしたら、「さらっと読んで、深くわかる」だと、結果論的な響きを感じるので、
>>どういう方策で?というものがあるようには感じられない気がします。
>>多読をしていて、深くわかるときもあれば、深くはわからないけれど・・・というときもある。

>  うーん、鋭い突っ込みですね。
>  考えてもみなかったことばかりで、おたおたしてます。

>  でも、これもその通りで、
>  方策というのは、考えていなかった。
>  
>>結局「どこまでも多読!」ということでしょうか?そうならば、それはそれでいいなと思います。

>  多読をしていればいつか「多読的精読」に至ると思ってました、だれでも。
 
 ワタシ的お気楽解釈では、グリーンさんへの返信で書きましたように、
「いつか」どころか「いつでもすぐにでも」「深く」なれるのではないかと・・・
(あくまでもワタシ的解釈で、です。)
 
 
>>あ、でも「方策」として、

>>>*さらっと読んで、深くわかるには、
>>> 劇薬シャドーイングでことばのリズムやメロディーを体感することがいちばん
>>> かもしれません。まだ予感の段階ですが。

>>と、示されていますね。
>>まだ予感の段階であっても、「方法論」なのですね。(と、受け取っております。)
>>わたしの「ひっかかり」は、ただ「多読的精読」という言い方についてだけのようです。

>  ところが、どうしても「精読」の影がつきまとう場合があるわけです。
>  これはもうつきまとう影を無理矢理切らなければ行けないかと思って、
>  劇薬シャドーイングを提案しました。

>  多読からそのまま「さらふか」(さらっと読んでふかーく分かる)に
>  達するのがむずかしいのは、過去のしがらみのせいではないか?
>  ならば、切ってしまえ! というわけです。

>  ただ乱暴なだけじゃなくて、をさなごはそうやってことばを吸収していく
>  と、ぼくは思います。(おとなでも、ぼくが講演の中で話す英語を
>  無意識に繰り返す人がかならずいます。)
>  意味もわからないことばを ま・ず・は・復・唱・す・る
>  そこで、リズムやメロディーを体にしみこませると、
>  ことばの持つ深い意味が溶けるように(?)体に入っていく?

それは、
復唱対象の「人」が大好きか、復唱素材が大好きか、のどちらかで可能でしょうねー。
逆に、「大好き」がないと、不可能???
 
  
>>私としては、この意味で(さかいせんせーとは異なる意味で)

>>>*そこでわたしはこれからは多読的精読という言い方を使うのはやめにしようと
>>> 思います。

>>ここ、さんせーです。
>> 
>>で、代わりのことばは何になりますか?という興味もありますが・・・
>>ま、いーです。笑

>  はい、「もっと早く」いづこさんの「精読的多読」を知りたかった。
>  いまはもう「精読」という「忌まわしい」表現そのものを
>  きっぱりと捨てようと思います。

>  で、代わりに使いたいことばは・・・ まだ、ない・・・
 
楽しみにしています!
 
 
>>今は昔、私も「多読的精読」に関するさかいせんせーや、みなさんのご見解を
>>待っていたひとりだったと思います。(忘れかけています・・・汗)
>> 
>>多読の次の段階として、だったのかな?たぶんそう。
>> 
>> 
>>今、私は、

>>ある人が英語を始めるなら「多読」で。
>>ある程度のところまで「多読」で。

>>そして

>>終わりまで「多読」で行って、そこで英語と縁を切るのもよし、
>>終わっているんだか続けているんだかわからない状態で「多読」を続けるもよし
>>きっと自分に必要な次の段階は「文法だ」と、「文法」コースに入るもよし、そしてまた「多読」に戻るもよし。

>>・・・みたいにできるといいのになあ〜、と思っています。

>  なるほど。
>  文法コースを行った人は何人もいますが、
>  だれも生還していない・・・
>  ・・・は、嘘ですが、それで何か飛躍したという話は
>  聞いたことがないような?

>  「確かめることができた」ということは聞いたことがあります。
>  また、(すでに何度も書いていますが)ぼくの多読クラスの電通大生は 
>  Grammar in Use を「楽しい」と言いますが。

>>なお、私の定義する「多読」は、もういろいろなものを含むようになってきていて
>>「読み聞かせ、歌、ミュージカル」や
>>「多読、多聴、多観、多話、多書、シャドーイング」など、

>>学校のカリキュラムと関係ないもの、自分(たち)の興味で素材など選べるもの、自分で関わりの程度を決められるもの
>>問題を解かないもの、正しいとか間違っているとかあなたの英語はどの程度とか、判定を他者から受けないもの
>>・・・などの総称として、概念を表すことばとして使ってしまっております。

>  わぁー!!! ぼくもそうなので、だから tadoku と
>  アルファベットで書いたりするのです!!

>  よい総称ですね。

>  さっき代わりに使いたいことばがないと書きましたが、
>  みなさんが構わなければ tadoku という表記もあるかなと
>  秘かに思っていますが・・・

>  しかしこれはわかりにくいだろうなあ・・・
>  いづこさん、どう思います?

わかりにくいといえば、わかりにくいかもですねえ。(汗)
  
まあでも、考えすぎると身動きとれなくなっちゃうかもしれませんよ。
ブログの「わからないがわからない」読ませていただきましたが、
せんせー、かなりいろいろお悩みかとお見受けしました。
「メモ」だからでしょうか?そうならいいのですが。

でもそのお悩みのひとつひとつも、読者のみんなが見せていただいて
それぞれが勝手に参考にしていることでしょう・・・。

あらためまして、さかいせんせー、メモの公開ありがとうございます。
(中には「早く結論を!」なんて方もいるのかもしれませんが・・・。
 
ではでは、こんなところで・・・

いづこ 
 

 
>>こんなふうにできるのなら、
>>「さらっと読んで深くわかる」のは、
>>ねらうことではなく、ときどき、そしてやがてしょっちゅう起きること、になるのではないかなあ〜。

>  はい。まったくその通りだと思います。
>  ある日突然「さらっと読んで ふかーくわかる」ようになるわけではなく、
>  だんだんだんだん 深くなっていくんでしょうね。

>>「多読的精読」について
>>昔は待っていたかもしれないのですが、
>>もう、(与えてもらうものとして)待ってはおりません。
>>でもさかいせんせーが発表されたら、興味を持って読ませていただきます。
>>そして自分に取り入れらることなら、取り入れるぞ、という姿勢で、てぐすね引いて待っております。

>>では〜。

>>いづこ

>ありがとう。

>こうやって意見交換をするのはぼくにとって上善です。
>どんと書いて、どんとぶつかってきて、どんと返す・・・

>これからもよろしくお願いします。
>(じゃなかった、次の返信があります。でもきょうはもう寝ます・・・)


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759. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): fiona
日時: 2011/3/30(12:23)

------------------------------

いづこさん、さかいせんせ、今日は。

「英語」多読には、かなりご無沙汰のfionaです。

かなりご無沙汰なので、書こうかどうか迷ったのですが、特に「精読」については捉え方が違うみたいなので書いておきます。
(私の捉え方が正しいのかどうかは不明ですけれど)
 
 
まず、「多読」の方は…。

多読と言うのは、私の場合、「日本語と同じように」、もしくは「日本語と同じような感覚で」英語などを扱うことと捉えています。
いきなり難しいところから、ではできないので、それなりに易しいところから始めれば、そのうちに出来るようになる。
まあ、そんなものじゃないの、と思っています。

文法の勉強とか、単語の暗記とかは、それをした方が近道じゃないかと思ってやっているように見えます。…が、本当に近道なのかどうか不明。
どうなんでしょう?
文法なんか、本に書いてあることは、実際の文章に含まれているものの一部だけだし、細かなところは変わって行くし…。
すでに知っていることの整理程度に、「適当にさらっと」は良いかも知れませんね。
ただ、よく知らない言葉の場合は、文字の読み方(ハングルとかアラビア語とか)は、一応勉強した方が良さそう。文法も、骨格くらいは知っていた方が便利かも…。
…と言う感じです。
 
 
 
「精読」については、文法をひねくり回したり単語をいろいろひっくり返したりすることが、なぜ「精読」になるのか良く分かりません。

私は、文章に書いてある「中身」を細かく正確に捉えたり、感じ取ることが「精読」だと思っています。
「中身」が大事なのであって、うわっつらの「文法」や「単語」のことは、中身が分かるなら必要ないのではないかと?逆に「文法」や「単語」にこだわりすぎたら、「中身」がおろそかになって、「精読」どころか「中身を無視したいいかげんな読み」になってしまいそうな気がします。

なぜ、文法解析をしたり単語を細かく調べるのが「精読」なんでしょう?
これは、単なる「言語オタク」的読み方で、普通の人にとっては「中身」が大事なのではないかと思います。
「中身」を読みたいのに、うわっつらのことをゴチャゴチャとやられては、面白くないというか苦痛です。そのうえ、「中身」に興味のないものを無理に読まされたりしたら…。
(「言語オタク」的読み方も、興味があるなら、研究や趣味としては良いと思いますが、普通の読み方ではないですよね…。)

まあ、精読については、こんな感じで捉えています。
 
 
「日本語」多読ばかりしているfionaでした。(たまに、ネットなどで英語にぶつかったら読んでますけれど…)


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[♪] 763. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/4/3(00:24)

------------------------------

fionaさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

>いづこさん、さかいせんせ、今日は。

>「英語」多読には、かなりご無沙汰のfionaです。

>かなりご無沙汰なので、書こうかどうか迷ったのですが、
特に「精読」については捉え方が違うみたいなので書いておきます。
>(私の捉え方が正しいのかどうかは不明ですけれど)

  ありがとうございます!

>まず、「多読」の方は…。

>多読と言うのは、私の場合、「日本語と同じように」、
もしくは「日本語と同じような感覚で」英語などを扱うことと捉えています。
>いきなり難しいところから、ではできないので、それなりに易しいところ
から始めれば、そのうちに出来るようになる。
>まあ、そんなものじゃないの、と思っています。

  ぼくもそういうことだと思っています!
  日本語と同じような感覚で、というところがぼくにとっては
  鍵です。

>文法の勉強とか、単語の暗記とかは、それをした方が近道じゃないかと
思ってやっているように見えます。…が、本当に近道なのかどうか不明。
>どうなんでしょう?
>文法なんか、本に書いてあることは、実際の文章に含まれているものの
一部だけだし、細かなところは変わって行くし…。
>すでに知っていることの整理程度に、「適当にさらっと」は良いかも知れませんね。

  本当に近道かどうか、ぜひみなさん試して、報告をお願いします!

  文法の勉強というと、Grammar in Use が有名ですが、
  楽しいという学生もいれば、つまらなくて続かなかった人も少なくないと
  思います。どういう人にどういう変化があるのか、
  ぼくとしてはぜひとも知りたいところです。

>ただ、よく知らない言葉の場合は、文字の読み方(ハングルとかアラビア語とか)は、
一応勉強した方が良さそう。文法も、骨格くらいは知っていた方が便利かも…。
>…と言う感じです。

  これも、まだわかっていません。
  文字の読み方はひょっとして絵本の聞き読みからはじめると
  どんなことばでも知らなくてもいいかもしれません。
  みなさん、いろいろ試して、ご報告を! 
  (いまはまだそればっかりです・・・)

>「精読」については、文法をひねくり回したり単語をいろいろひっくり
返したりすることが、なぜ「精読」になるのか良く分かりません。

>私は、文章に書いてある「中身」を細かく正確に捉えたり、
感じ取ることが「精読」だと思っています。
>「中身」が大事なのであって、うわっつらの「文法」や「単語」のことは、
中身が分かるなら必要ないのではないかと?逆に「文法」や「単語」に
こだわりすぎたら、「中身」がおろそかになって、「精読」どころか
「中身を無視したいいかげんな読み」になってしまいそうな気がします。

  ぼくの意見もおなじです。文法や単語にこだわりすぎると、
  実は 「中身をむししたいい加減な読み」になります。

  けれども、文法や単語に徹底的に拘ることが精読だ、
  正しく読むことだ、と昔ながらの理解をする人の多いこと!

>なぜ、文法解析をしたり単語を細かく調べるのが「精読」なんでしょう?
>これは、単なる「言語オタク」的読み方で、普通の人にとっては「中身」が
大事なのではないかと思います。
>「中身」を読みたいのに、うわっつらのことをゴチャゴチャとやられては、
面白くないというか苦痛です。そのうえ、「中身」に興味のないものを無理に
読まされたりしたら…。
>(「言語オタク」的読み方も、興味があるなら、研究や趣味としては良いと
思いますが、普通の読み方ではないですよね…。)

  はい、言語オタクの一人として、普通の読み方ではないことは
  認めます。

  でも、ことばというのは人間が作り出したもののうちで、
  もっとも複雑なものだとぼくは思います。
  その仕組みを探るのは実に楽しいのですよ。

>まあ、精読については、こんな感じで捉えています。
> 
> 
>「日本語」多読ばかりしているfionaでした。(たまに、ネットなどで
英語にぶつかったら読んでますけれど…)

またいつか、気が向いたらでいいのですけれど、
外国語の多読・多聴に戻ってください。

そしてその時は、Happy reading and listening!


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760. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): グリーン
日時: 2011/3/30(14:14)

------------------------------

みなさん、こんにちは。

私がよく分からないのは、「深くわかる」っていうところなんですけど・・
深く分かるって自分でわかること?日本語を読んでいる場合に「さらっと読んで深くわかる」を当てはめてみたけど、やはりよくわからない。日本語は単語も文法もわかっているわけでしょ?で、さらっと読むこともまあ、出来ます。でも「深くわかる」という感覚はよくわからない。

グリーン


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761. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/3/30(20:38)

------------------------------

みなさま 

いづこです。
この投稿はまず、fionaさんと、グリーンさん宛とさせていただきます。
さかいせんせはあーとーでー♪
(ゆっくりのほうがいいですよね?)

fionaさん、グリーンさん、レスいただきありがとうございました。
 
 
◆ fionaさん 

>かなりご無沙汰なので、書こうかどうか迷ったのですが、特に「精読」については捉え方が違うみたいなので書いておきます。
>(私の捉え方が正しいのかどうかは不明ですけれど)
 
多読、精読、その他の言葉について、ちゃんとした定義があるはず、あるべき、と考える方もいると思いますが、 
わたしは、定義はひとそれぞれなのでは?と思っていまして、
だから何か投稿するときは、
「私は**とは・・・ということだと思っているので、この件に関しては###と考えます」と
書こうと思っています。
つまり、正しいも正しくないもないのではないかと・・・

>まず、「多読」の方は…。

>多読と言うのは、私の場合、「日本語と同じように」、もしくは「日本語と同じような感覚で」英語などを扱うことと捉えています。
>いきなり難しいところから、ではできないので、それなりに易しいところから始めれば、そのうちに出来るようになる。
>まあ、そんなものじゃないの、と思っています。

ええと、「多読」の定義として書いてくださったのは、この上の部分だとお見受けしましたが、
(以下の部分は補足のご説明と思いました。)合っていますでしょうか。そうだとして・・・
「なるほどー。」と思います。
 
 
>文法の勉強とか、単語の暗記とかは、それをした方が近道じゃないかと思ってやっているように見えます。…が、本当に近道なのかどうか不明。
>どうなんでしょう?
 
私だけの意見として聞いてくださいね。
「近くないー。」と思います。
 
 
>文法なんか、本に書いてあることは、実際の文章に含まれているものの一部だけだし、細かなところは変わって行くし…。
 
実際の文章じゃなかったりもしますよ。
その文法の説明をするために作られた短文。 
その文があてはまる場面が全然思い浮かばない。
無理をして考え出すと笑えて、返って楽しかったりしますけど♪
 
 
>すでに知っていることの整理程度に、「適当にさらっと」は良いかも知れませんね。
>ただ、よく知らない言葉の場合は、文字の読み方(ハングルとかアラビア語とか)は、一応勉強した方が良さそう。文法も、骨格くらいは知っていた方が便利かも…。
>…と言う感じです。
 
最初の投稿にも書きましたように、
自分からそう思った人だけが、いつでも撤退できるスタンスで、文法を勉強するのはよいと思います。
学校で6年以上、有無をいわせず勉強させられる、しかもテストがある。←これ、なんとかならんもんかしら・・・
と、思っています。
 
 
>「精読」については、文法をひねくり回したり単語をいろいろひっくり返したりすることが、なぜ「精読」になるのか良く分かりません。
 
あー、そうですね。「精読」の定義はよく考えずに最初の投稿をしていましたが、
「文法をひねくり回したり・・・云々」は、「英語教育」の分野での定義、と言えるのかもと思いました。
言い換えると、「=学校英語での英語の読み方」もしくは「=学校英語での読み方の影響を受けた英語の読み方」と
言えそうな気がします。
 
日々の生活におけるふつうの読書(日本語ふくむ)での精読は

>私は、文章に書いてある「中身」を細かく正確に捉えたり、感じ取ることが「精読」だと思っています。

こういうことですよね。
「国語の授業での、教材文の読み方」を指して、日本語の「精読」と呼ぶ人は・・・、
いない、かな。いなさそうですね。
 
 
>「中身」が大事なのであって、うわっつらの「文法」や「単語」のことは、中身が分かるなら必要ないのではないかと?逆に「文法」や「単語」にこだわりすぎたら、「中身」がおろそかになって、「精読」どころか「中身を無視したいいかげんな読み」になってしまいそうな気がします。

>なぜ、文法解析をしたり単語を細かく調べるのが「精読」なんでしょう?
>これは、単なる「言語オタク」的読み方で、普通の人にとっては「中身」が大事なのではないかと思います。
>「中身」を読みたいのに、うわっつらのことをゴチャゴチャとやられては、面白くないというか苦痛です。そのうえ、「中身」に興味のないものを無理に読まされたりしたら…。
>(「言語オタク」的読み方も、興味があるなら、研究や趣味としては良いと思いますが、普通の読み方ではないですよね…。)
  
ここまで来て、ワタクシ、今一度自分の元投稿を確認してみました。
「どこまでも多読で〜」と言っているところが、
「精読はせずに」と読めましたか?
そうですね。そこ辺り、「精読」を「お勉強」と定義しているようですね。
でも。
わたしの「多読」は、いろいろなものを含むようになってきている、という辺りは、
そんなこんなをしているうちには「さらっと読んで深くわかる」が起こるのでは?と書きました。
 
これで、「中身がわかる」(ことがある)ということが言いたかったのです。
つまり、多読で始めて多読しているうちに、
fionaさんのおっしゃるような、一般的意味の精読にもなる。と。
 
さかいせんせーの「深くわかる」も、「精読になっている」ということではないでしょうか。

fionaさんの「精読」には、何か「方策」がありますか?
もちろん日本語の方でいいですよ。
「精読」しようとすると、何か特に気をつけることがありますか?
 
私も自分の日本語読書で考えてみました。(あまりたくさんは読みませんが。)
まず、日本語の本では「読みなれるための多読」は考えていませんよね。
精読するかどうかは、読み始めてから決まるようです。 
「面白い!」と思えば、のめりこんで読む。
あんまり・・・と思えばつまみ読みする。または投げる。
精読の方策としては・・・「睡眠を削る」かな。

わたしの「精読」はやはりただの結果論のようです。笑
 
fionaさんありがとうございました。 
 
 
 
◆ グリーンさん

>私がよく分からないのは、「深くわかる」っていうところなんですけど・・
>深く分かるって自分でわかること?日本語を読んでいる場合に「さらっと読んで深くわかる」を当てはめてみたけど、やはりよくわからない。日本語は単語も文法もわかっているわけでしょ?で、さらっと読むこともまあ、出来ます。でも「深くわかる」という感覚はよくわからない。
 
ああ〜!
私、「正しく」じゃない、というのが何しろ嬉しくて「深く」の妥当性をあんまりよく考えていませんでした!
ちょっと考えてみましたところ、
ある程度、私のイメージはありましたので、いっちょ聞いてやってください。
でも、それを表すのに「深く」でいいのか?というツッコミをいただくかもしれません。
そして、賛成できない、という方もおありと思います。すみませんが・・・

「深い」か「深くない」かは、わたしにとって「感動があるか」「ないか」です。
「さらっと読んで深くわかる」は「一読しただけでも、感動する」です。
と考えてみて、この意味の場合は、
「さらっと読んで(も)深くわかる」と、「も」が入った方がいいかな、と思いました。 

これだと、「感動する内容のない文章」は精読?できないことになります。わはは〜?。(<おい)
でも、説明文のような文章でも、感じることはありますし。
 
ORTを読み始めたばかりの子どもでも、
読んで何か「わぁ〜。」などと感じることがあれば、それは「深くわかっている」と呼びたいです。
 
やっぱり「多読(概念)=tadokuとなるか?」 の中に「深くわかる」は偏在するといえるかも!
 

グリーンさんありがとうございました。


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762. Re: 精読の条件

ユーザ名(Username): fiona
日時: 2011/4/2(19:36)

------------------------------

いづこさん、今晩は。

>fionaさんの「精読」には、何か「方策」がありますか?
もちろん日本語の方でいいですよ。
「精読」しようとすると、何か特に気をつけることがありますか?

ですが、「方策」ではなく、「条件」みたいなものはあるかなぁと。

1. その文章の内容に、興味があること。もしくは、詳しく読まないといけない状況である場合。
 全く興味が無いものは、易しくても読めません。とても精読は出来そうもない気がします。
後者は、テスト前に、ここを理解しておけば点数が取れる、というところを読む場合など。

2. その文章を理解できる、語学力と理解力があること。
 いくら興味があっても、知らない言語は読めません。知っている言語でも、自分の語学的能力を遥かに超えているような文章は読めないと思います。
 また、語学的に読めても、内容が高度すぎて理解できない場合も精読は無理かと思います。

3. 精読するだけの体力・気力・集中力があること
 高熱で寝込んでいたり、睡眠不足でものすごく眠い時には、精読は困難だと思います。

この3つが揃っていて、なお且つ、時間があり、邪魔が入らなければ、「精読」できる条件は揃っていると思います。
 
 
でも、これって、多読の3原則というのとちょっと似ているような気が……。
(あれ?多読の3原則ってどんなんでしたっけ?? でも、似たようなものがあったと……)

ではでは。


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764. Re: 精読の条件

ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/4/3(01:22)

------------------------------

fionaさん、こんにちは。いづこです。
お答えありがとうございました。

>>fionaさんの「精読」には、何か「方策」がありますか?
>もちろん日本語の方でいいですよ。
>「精読」しようとすると、何か特に気をつけることがありますか?

>ですが、「方策」ではなく、「条件」みたいなものはあるかなぁと。
 

>1. その文章の内容に、興味があること。もしくは、詳しく読まないといけない状況である場合。
> 全く興味が無いものは、易しくても読めません。とても精読は出来そうもない気がします。
>後者は、テスト前に、ここを理解しておけば点数が取れる、というところを読む場合など。

>2. その文章を理解できる、語学力と理解力があること。
> いくら興味があっても、知らない言語は読めません。知っている言語でも、自分の語学的能力を遥かに超えているような文章は読めないと思います。
> また、語学的に読めても、内容が高度すぎて理解できない場合も精読は無理かと思います。

>3. 精読するだけの体力・気力・集中力があること
> 高熱で寝込んでいたり、睡眠不足でものすごく眠い時には、精読は困難だと思います。

>この3つが揃っていて、なお且つ、時間があり、邪魔が入らなければ、「精読」できる条件は揃っていると思います。
 
 
「条件」は、精読に至る前提条件ですね。
 
では、私が言った「多読で始めて多読しているうちに」こういう前提条件が整うことがあるか???
興味がある、自分の読めるYLの本である、内容の理解力がある、体力、気力、集中力のあるときである、時間がある、邪魔がない

おお、いけるんじゃないでしょうか♪
 
fionaさんが、「方策」ではないとおっしゃるのは、
やはり、こういう条件がそろえば「自然に」精読されているから?
私の「睡眠を削る」の方策?も、成り行きですから・・・笑

やっぱり「精読」もがんばってするもんじゃないですね?

あ!テストの範囲になったときの精読だけ違うか〜???


>でも、これって、多読の3原則というのとちょっと似ているような気が……。
>(あれ?多読の3原則ってどんなんでしたっけ?? でも、似たようなものがあったと……)

えーと、「3」原則なのは同じですね。

多読の3原則は、「〜ない」「〜ない」「…あとまわし」で、
まとめて裏返しにすると
「自分の意志と力と感性とで読みましょう!」ということだと、私は解釈しております。
そういう意味では、
似ているのじゃないでしょうか〜。

ありがとうございました。


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766. Re: 多読的精読?について

ユーザ名(Username): グリーン
日時: 2011/4/5(02:22)

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いづこさん、みなさん、こんばんは。

深い?深く?としばし考えていたけれど、よくわからないのでどうでもよくなってきました。
自分で実感(判定?)できるならいいのですけど、どうも私には出来そうにない。だから、センセーの言うことはシカトすることにした。

ただ「さらっと読む」「さらっと読める」というのは、何語であろうと、何を読もうとそうだったらいいなあ、と思う。しかもこれなら自分でわかるし・・・

グリーン



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