最後の質問まで一気に!

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/7/18(21:53)]

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[♪] 754. 最後の質問まで一気に!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/2/13(01:06)

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主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

23番目から最後までは関係のある質問でもあり、
まとめて答えるとよいタイミングでもありますので・・・

***************************

23 学内の行政には,関わってこられたのですか。

24 最終講義は,されるのですか。どのような題目ですか。

25 研究成果は,いままで,どのような研究として,発表されていますか。

26 研究成果は,今後,どのように発表されるのですか。

***************************

*23 実に鋭い質問で、敬服します。

  おそらく主観の新茶さんにもなんらかそうした方面の経験がおあり
 なのだろうと推察します。

  電気通信大学に就職したのは30才直前でした。
  で、数年後には大学の様子がわかって、
  「学内行政には絶対関わりたくない」と思いました。

   (大学というところにがっかりしたのはそれだけではありませんが)

  そこで、35才くらいだったと思いますが、
  教授にされないように(行政に関わらなくていいように)
  論文は書かないことにしました。

   (ほかにも上に書いたさまざまな「がっかり」が関係していますが)

  35才くらいのときの決意が30年後に、強まりこそすれ、まったく揺らいで
  いないことは、われながらすごいと思います。

  ぼくを教授にしようという「圧力」はその後何度も繰り返されました。
  「教授にならないと後悔するよ」という諭しもありました。
  最近後輩に「酒井さん、わたしはもう疲れました」と相談を持ちかけられて、
  「教授になるのをやめさえすれば、すっきりさわやかだよ」と
  悪魔の誘いをしました。本当にそうなのです。
  
    (その代わり、たしかに不都合なことも多い。
     でも、名誉とお金を放り出すことで、なにもかもどれほど簡単明瞭に
     なることか! 決してすすめはしませんが、強くすすめます!!) 

*24 最終講義はしないつもりでした。けれどもすることにしました。

  最終講義というものはぼくは一度も聞きに行ったことがなくて、
  それに、そういう風に大学というものを見限っているので、
  いまさら35年の大学生活を振り返って聞かせたいとは思っていなかったのですが、
  つい最近「酒井さん、毎週いろいろな人が来てるじゃないですか、
  ああいう人たちに来ていただいたら?」という誘いがあり、
  突然、最終講義をやることにしました。

  でも、花束も、講義終了後の「懇親会」もなしにしてもらおうと考えています。
  そして土曜日の午後にやることにしました。
  そうすると大学の関係者はよほど物好きでなければ来ないと思うからです。

  で、何について話すかというと、多読仲間のみなさんに、
  「さかいは大学でいったい何をしていたのか?」を
  知っていただこうと考えています。

  そういう「非常識な」人間が多読を言い出したのだということ、
  そして「非常識な」さかいが考え出した多読がどれほど「非常識な結果」を
  もたらして、外国語学習の常識をひっくり返そうとしているかを
  お話しします。

  なお、当日は先日の村祭りで残った本を売り出すフリーマーケットを
  ぼく一人で開催したいと考えています。

  最後はオフ会かな? 楽しみ!

*25 そういうわけで研究成果そのものも発表の仕方も非常識です。

  まず、ぼくのやっている「研究」はたいていの大学の先生には研究とは
  思えないでしょうね。

  まず第一に先行研究というものを信じない。
  (かっこよく言うと、だれでも自分の城は自分で見つけた土地に、
   自分で築くものだと思っております。)

  また、新しい考え方には新しい研究方法が必要だと考えています。
  というより、だれにでもわかる研究方法からは新しい研究分野は
  生まれるわけはないと思うのです。

  その研究方法は、(そんじょそこらの)学者にはわかるわけがない。

  (ぼくの研究方法を理解するにはそれなりの洞察が必要だろうと
   考えております。そういう英語の学者にはまだ会ったことがない。)

  ぼくの知っている「学者」と言われる人たちはクラッシェンさんをのぞいて、
  みんな普通の研究方法に則って、これまでの英語学習を精密にしようという
  人たちばかりです。

   (実はクラッシェンさんも普通の研究方法に則ろうとした。
    そのために後年いわゆるバッシングに遭ったとぼくは考えます。)

  ではぼくの研究方法(ぼくは自分を研究者と考えています)は
  どういうものかというと、要するに、ぼくという人間が深く関わったもので
  いわゆる「キャッカンテキ」ではないのです。

  数字はせいぜい「撒き餌」として提出するだけ。
  数字よりも、たくさんの例を冷静に見ることと、そこに共通する要素を
  直感で判断することを大事にします。

  ではほかの人はどうやってぼくの研究を信頼するのか?

  数字を出さないので、ぼくを信頼してもらうほかありません。
  たとえばリボンちゃんに表れた変化を見て、
  そこから読み聞かせや多読と関係があるのだろうかと考える。

  ゼロからはじめた人が英語の仕組みについて鋭い洞察を聞かせてくれると
  そんなことがどうして可能なのか、考える。

  シャドーイングで意味の区切りが体で解るようになったという人がいれば、
  それはどうしてなのだろう、多読や多聴やシャドーイングの何が
  それをかのうにしたのだろうと考える・・・

  それがぼくの研究です。

*26 したがって、その研究成果の発表は今後もいわゆる学術論文ではありません。

  いままでぼくが書いた本が研究成果の発表の場であり、
  みなさんと掲示板やオフ会やメールで話し合うことが発表の場です。
  ぼくの研究に意味があれば、それはみなさんの内側の変化として
  「表れる」ことでしょう。それをみなさんが報告してくださると、
  ぼくはぼくの研究のチェックができ、さらに洞察を磨くことができます。

  ほかの「学者」にはとても「研究発表」とは見えないだろうけれど、
  学問の方法に新しいやり方を考えつかない人たちが
  新しいやり方を認識できないのは仕方のないことです。
  それはそれでちっともかまいません。  
  ぼくはほかの学者に認められるために研究しているわけではないので。

主観の新茶さん、お返事を待っております。
ほかのみなさんもぜひなんでも投稿してください。

もちろんぼくの返事そのものがこんなに遅れたのだから、
急いでお返事やご意見をくださいと言っているわけではありません。
いつかそのうち、せっかく滅多に書かないことを書く機会を
くださったのだから、さらに話が深まることを期待しています。
いつか、そのうち・・・

In the meantime, 楽しい読書を!


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769. 日々の実践が研究であった,ということでしょうか。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2011/7/2(14:03)

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 拝啓 7月となりました。
 酒井さん,こんにちは。ご無沙汰しております。
 (主観の)新茶です。

>  ほかの「学者」にはとても「研究発表」とは見えないだろうけれど、
>  学問の方法に新しいやり方を考えつかない人たちが
>  新しいやり方を認識できないのは仕方のないことです。
>  それはそれでちっともかまいません。  
>  ぼくはほかの学者に認められるために研究しているわけではないので。

>主観の新茶さん、お返事を待っております。
>ほかのみなさんもぜひなんでも投稿してください。

>もちろんぼくの返事そのものがこんなに遅れたのだから、
>急いでお返事やご意見をくださいと言っているわけではありません。
>いつかそのうち、せっかく滅多に書かないことを書く機会を
>くださったのだから、さらに話が深まることを期待しています。
>いつか、そのうち・・・

 丁寧なご回答,ありがとうございます。
 全部には答えられないので,一部について,お返事します。

 酒井さんが,実際に,大学で何をどのように研究してきたのか,具体的な記述に乏しいので,文章を読んでも,よくわからないというのが,感想でありますが,酒井さんの文章を素直に読むと,酒井さんは,「日々の実践が,研究であった。」と述べておられると理解しています。
 ここに実践とは,通常言われているところの,いわゆる教授のことです。
 具体的に言えば,「酒井さんが,大学生らに英語の授業をしていること」です。

 通常の学問的用語を使用すれば,一般に,大学の先生は,憲法23条の学問の自由について,高校までの先生と異なり,仝Φ罎亮由,研究発表の自由,6擬(教育)の自由の3つがあるといわれています。
 教授とは,教えるということですね。

 私は,酒井さんが,これまでのご回答において,「教えるということはしていない。」というのですから,本当は,「酒井さんの場合,教授が,同時に,研究ということだったんですね。」と言いたいところですが,それだと,酒井さんから,また,これまでの一部のご回答と同じく,用語の定義の記述で,ほとんど終始されてしまいかねないから,ここでは,「酒井さんの場合,実践が,同時に,研究ということだったんですね。」と書いたのです。

 酒井さんは,実践が研究であったわけですが,正確に言えば,実践のみならず,実践後に一人でなした考察あるいは実践後に他者と共に考えたことが,研究であるということになるわけですね。

 そして,酒井さんは,研究発表の自由については,筑摩書房から出した3冊の本で研究を発表し,研究発表の自由を発露されましたが,それ以外に,学内で論文を書いて掲載するというような研究発表の自由は,自らの意思で,放棄されたのですね。

 学問の自由は,以上の3項目の他,もうひとつ,「研究教育機関の自由」,すなわち,従来「大学の自治」といわれている項目があります。酒井さんは,大学行政に関わらなかったため,「研究教育機関の自由」のうち,研究教育の内容・方法及び対象については,酒井さん自らに限り自由奔放に振る舞った。しかし,酒井さんは,そのほか通常いわれているところの「研究教育機関の自由」のうち,教員人事権,施設管理権,学生管理権,財政管理権には,関わってこなかったようだと思われます。

 私は,以上のように,理解しました。
 私の理解で正しかったでしょうか。
                                               草 々


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[♪] 770. Re: 日々の実践が研究であった,ということでしょうか。

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/7/2(22:05)

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わー! 主観の新茶さん、ひさしぶりです! うれしいです!!
さかい@tadoku.orgです。

ところがきょうはもう寝てしまいます。
後日ゆっくり、しっかりお返事します。

これからもよろしくお願いします!!


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771. 24番目の質問は,酒井さんの最終講義の有無についてでしたが,酒井さんは,別の場所で,ドーデの最後の授業になぞらえていました。田中克彦,鈴木孝夫,菅原克也の三氏について。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2011/7/5(19:52)

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 酒井さんへ。新茶です。

 酒井さんが,最終講義について,「ドーデの最後の授業」を引き合いに出されたが,実際に最終講義を行ったか,この掲示板では,明確ではないようにみえる。
 私が,探し損ねているだけかもしれない。

 田中克彦氏は,著書「ことばと国家」において,「背景をよく考えてみると,ドーデの最後の授業は,言語的支配をさらけ出した,文学などとは関係のない,植民者の政治的扇情の一篇でしかない。」と酷評している。P127。

 「ことばと国家」は,1981年に出版されたが,最後の授業は,それまで日本の国語の各教科書に使用され,かなり人口に膾炙していたのに,この田中氏の指摘により,1985年ころまでには,一斉に日本の教科書から消えてしまったようだ。

 現在,35歳前後から下回る人達は,ドーデの最後の授業を知らないだろう。
 しかし,それ以前の日本人の中には,幼心を突き動かされ,涙した人もいたに違いない。
 田中氏に言わせれば,おそらく,笑止千万なことであろう。
 田中氏は,酒井さんと同じく,一橋大学の出身であり,酒井さんより,約10歳年上である。

 酒井さんは,田中氏の言語学者,国の言語政策等に対する痛烈な批判として,最後の授業が例示されていたことを知っていたのであろうか。
 酒井さんは,ドーデの最後の授業が,フランスのドイツ語圧迫政策に基づくことを知りながら,自らの最終講義について,ドーデの最後の授業に比肩したのであろうか。
 
 ところで,田中氏は,鈴木孝夫氏を意識し,鈴木氏を強烈に批判する。
 鈴木氏は,われ関せずという風情を装ったが,内心は,田中氏を意識した。
 
 田中氏と鈴木氏は,遂に,対談し,互いの学問的認識を深めた。

 菅原克也氏の「英語と日本語のあいだ」は,多読を薦める主張である。
 菅原氏は,辞書と文法を重視する多読である。
 それ以外に,いろいろ有益な示唆があるから,一読の価値はある。
 菅原氏の本を読んで,酒井さんの方法が,適切でないと思われた方もあるだろう。

 菅原氏は,酒井さんを意識しているだろう。
 なぜなら,酒井さんの本を前提とした用語を使用していると思われるからである。

 しかし,菅原氏は,酒井さんのことに,何も触れない。
 菅原氏は,酒井さんを無視している。
 酒井さんも,菅原氏を無視している。
 酒井さんは,菅原氏を知らず,没交渉といった方がよいのかもしれない。

 酒井さんと菅原氏は,田中氏と鈴木氏のような対話が持てる可能性は少ないであろう。残念なことである。
 しかし,私は,酒井さんも菅原氏も,互いに大人であり,英語など言語の学習を広めることにより,社会に有益な資となりたいと思っているのであれば,対話をしてみるのが相当であろうと思うのである。

追記
 私は,酒井さんも,菅原氏も,似ているところがあると思う。
 私は,一部だが,両氏に共通の欠陥があるようにも思う。
 たとえば,「一対一の対応」という用語の使用法は,考え方そのものの欠陥だと思うのである。
 しかし,そんな大それたことは,充分思考してからでないと,言えない。
 私の思考浅薄か否か,充分熟考してから,述べることとしたい。



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