続 誰も訊かないなら

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/5/20(05:24)]

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[提案] 718. 続 誰も訊かないなら

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2010/11/14(21:30)

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みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

もう一つ考えましたが、みなさんが果たして関心があるのかどうか・・・

実はあるとき学生に 「酒井さんは英語話せるんですか?」 と
訊かれたことがありました。

それでぼくは、そりゃ、そうだよな、そういう質問は当然だよね、と
思ったのでした。

で、みなさんからももし 
「さかいさんの英語力はどのくらいなのだろう?」
という質問があれば、お答えしようと思います。

おもしろそう?

あ、ただし、自社比 というか、 自己評価 です。
(大学の自己評価点検というのはまったく馬鹿にしておりまして、
 一度も返答したことがないのですけどね。)


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728. Re: 続 誰も訊かないなら,質問させてください。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2010/12/18(00:23)

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 さかいさんへ,
 主観の新茶です。
 では,質問させてください。
 さかいさんは,全部を読んでから,系統的に応答されるのではなく,読む順番に応答される場合も少なくないと思料されるので,以下のような順番で,質問してみました。途中からの質問の方が,通常,予想しやすい質問かとも思いますが,よろしくお願いします。どの質問も,非常に興味があります。元来,このような情報が明確に伝達されていると,どのように,このサイトを利用するかが,有効に,かつ,適切にできると思うのです。端的に,かつ,ある程度,詳細にわかりやすく,質問の趣旨と離れず,語っていただけると,幸いです。

1 まず最初に
 朝日新聞2010年11月4日の天声人語の記事は,次のようなものでした。さかいさんは,どうお考えですか。また,このtadoku.orgサイトは,どこにも,このような現代の重要な問題に対し,英語でどう読み解いていくかという発言がありませんね。私は,そう思います。それについては,どう思いますか。まず,英語で無理なのであるなら,日本語で話し合うことも,必要だと思いませんか。インターネット上だけで見ると,たわいのない会話が多いように見えますが,それでよいということなんですか。
 「米国では,11月は,選挙の月だ。中略。茶会選挙(筆者注:Tea Party)として,将来に記憶されよう。怒れる白人中間層らによる茶会という草の根保守が,嵐を起こした。いわゆる小さな政府(筆者注:small government)を求め,オバマ政権が取り組む医療保険の改革さえ,社会主義と嫌う人たちだ。富豪になるのも,野垂れ死ぬのも,自分次第。政府は,かまってくれるな。そう考える人々には,納めた税金が,弱者や企業の救済に使われるのは,納得できない。米国の伝統的な自由は,ときに日本人の理解を超えて,激しい。」

2 英語で思考しているか。
 さかいさんは,英語で会話できるかどうかを論点にしておられますが,そもそも,普段,英語で思考しておられますか。四六時中ではなくても,いつの間にか,英語で思考しているときがありますか?今,この投稿を読んでいるときに,英語で思考していますか。
 私は,およそ物事を認識すること自体が,言語を必要としていると思っています。われわれは,言語でしか,ものを認識できないし,思考できないのです。そしてわれわれは,物事を認識しているということは,とりもなおさず,意識的にしろ,無意識的にしろ,すでに言語をもって思考していることになると思っています。

3 話題の欠如
 このtadoku.orgサイトの掲示板全体において,アメリカやイギリスの政治,経済等の話が欠如しているのは,どうしてですか。そういう政治や経済等の話のないレベルで,良いのですか。良いのなら,良いですよ。たわいのない話題は,多いと思いますが。

4 政治的,経済的,法律的,社会的,文化的,自然科学的,自然科学史的の見地から,総合的・体系的に物事を見ること
 英語を学ぶのも,上記の趣旨であると思いませんか。

5 さかいさんは,大学に弟子はいますか。弟子に,ある程度,このtadoku.orgサイトを委任しないのですか。

6 このtadoku.orgサイトには,英語の専門家の発言が,ほとんどないのでは。

7 第二外国語研究者からの発言もないのでは?

8 翻訳家からの発言も,ないのでは? 

9 このtadoku.orgサイトは,全国的に,どのくらい注目されていますか。

10 ほかのサイトとの提携の話は,ないのですか。

11 ネイティブの人の参加が,ほとんどないと思われますが,どうしてですか。

12 英語を学ぶ目的は,社会に役立つことをするためではないのですか?

13 英語の多読をするために,仕事中に英語を読んでいたという投稿がありましたが,どう思いますか。

14 確か,学校の先生で,仕事をするのが嫌いであるという投稿があったと思いますが,どう思いますか。

15 「英語ができる」という表現は,不正確であり,使用すべきではないと思うが,いかがですか。子供は,どこの国でも,まだ発展途上の人間であり,母国語ができるとはいわない,と私は思います。よく,英語のネイティブは,子供でも英語が話せるというが,私は,英語を話せると思っていない。なぜなら,私のいう基準では,思考的に未発達であるからである。

16 会員は,高齢化しているのではないか。平均年齢は?。20代は,少ないのではないか。

17 さかいさんの方法でないと英語を習得できないと思っていますか?その場合の英語の習得とは,どんな状態を意味しますか。

18 数百万人,数千万人に,多読を教えたと思っていますか。

19 どのくらいの人数の人が,このブログを見ているのですか。一度でも見た人を含めるのは,適当ではないと思われます。たとえば,一月に一度は,見るという人は,どのくらいの人数がいますか。

20 さかいさんの存在,またはさかいさんが多読を提唱したことを知らずにいる人は,どのくらい多いと思いますか。人口の何パーセントくらいが,知っていると思いますか。

21 さかいさんの説く方法論とは知らないのに(または,さかいさんの存在は知っているだけで,影響を受けずに),10代,20代で,英語を習得していく日本人が増加したと思いませんか?

22 勉強,努力という言葉が嫌いですか。酒井さんにとって,それらの言葉の定義は,何ですか。
 私は,漢学者の一海知義さんが述べるように,勉強,努力,勉励は,ほぼ同じ意味の言葉であると思います。
 一海知義さんは,「勉励は,楽しめるときは,思い切り楽しむということが,その中に含まれている。あえていえば,無理をしてでも楽しむ,というふうに私には読めます。」と言っておられます。漢語の知識,岩波ジュニア新書,P2〜8,「勉強」の項目参照。
 だから,私は,端的に,勉強,努力,勉励とは,いずれも,強いて楽しむ意味であると理解しているのです。
 その場合,強いて楽しむというのは,自ら強いて楽しむという意味なのです。
 現代でも,勉強等の用語は,基本的には,上記意味で使用すべきである,と私は思っています。
 私の親の代は,勉強していると,その親から,勉強していないで,家の仕事を手伝えと言われた時代ですから,他者によって,「嫌々勉強させられる」という用法が出てきたのは,歴史的には,最近であり,かつ,歴史的にいつまで続くかわからない用法であると思っています。
 ところで,「無理をして」とか「強いて」という言葉の後には,「楽しむ」という言葉がひっつかないと思われる方もいるようですね。漢文や古文に対する理解力というか,日本語の感性の問題ですね。

23 学内の行政には,関わってこられたのですか。

24 最終講義は,されるのですか。どのような題目ですか。

25 研究成果は,いままで,どのような研究として,発表されていますか。

26 研究成果は,今後,どのように発表されるのですか。

   


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[チェック] 729. Re: 続 誰も訊かないなら,質問させてください。

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2010/12/20(12:16)

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主観の新茶さん、みなさん、こんにちは!
さかい@tadoku.orgです。

質問してくださって、ありがとうございました。
もう一つの投稿にもまだお答えしていないのですが、
ちょっとお待ちください。
一つずつ、かならずお答えします。
じっくりお答えしたい質問ばかりです!

では、その間も、Happy reading!


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[♪] 730. Re: 続 誰も訊かないなら,質問させてください。

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2010/12/21(10:59)

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主観の新茶さんへ
さかい@tadoku.orgです。

質問1項目ごとに、分けてお答えしますね。

> さかいさんへ,
> 主観の新茶です。
> では,質問させてください。
> さかいさんは,全部を読んでから,系統的に応答されるのではなく,読む順番に応答される場合も少なくないと思料されるので,以下のような順番で,質問してみました。途中からの質問の方が,通常,予想しやすい質問かとも思いますが,よろしくお願いします。どの質問も,非常に興味があります。元来,このような情報が明確に伝達されていると,どのように,このサイトを利用するかが,有効に,かつ,適切にできると思うのです。端的に,かつ,ある程度,詳細にわかりやすく,質問の趣旨と離れず,語っていただけると,幸いです。

  最後の行、むずかしい注文ですね、

  でも、ご主旨はわかります。
  そのように心がけます。

>1 まず最初に
> 朝日新聞2010年11月4日の天声人語の記事は,次のようなものでした。さかいさんは,どうお考えですか。また,このtadoku.orgサイトは,どこにも,このような現代の重要な問題に対し,英語でどう読み解いていくかという発言がありませんね。私は,そう思います。それについては,どう思いますか。まず,英語で無理なのであるなら,日本語で話し合うことも,必要だと思いませんか。インターネット上だけで見ると,たわいのない会話が多いように見えますが,それでよいということなんですか。
> 「米国では,11月は,選挙の月だ。中略。茶会選挙(筆者注:Tea Party)として,将来に記憶されよう。怒れる白人中間層らによる茶会という草の根保守が,嵐を起こした。いわゆる小さな政府(筆者注:small government)を求め,オバマ政権が取り組む医療保険の改革さえ,社会主義と嫌う人たちだ。富豪になるのも,野垂れ死ぬのも,自分次第。政府は,かまってくれるな。そう考える人々には,納めた税金が,弱者や企業の救済に使われるのは,納得できない。米国の伝統的な自由は,ときに日本人の理解を超えて,激しい。」

* えーっと、この記事自体はぼくも聞いている話で、
  「アメリカの保守的な人たちというのはそういうものなのか」
  という程度の感想しか持ちません。

* 後半部分、こうした問題について
  「英語でどう読み解くか」
  そして
  「英語または日本語でどう話し合うか」
  という点については、たしかにこれまでこの村の掲示板では
  話題になりませんでしたね。

  これはちょうどタイミングのよい問題提起です。

  ぼくが 「新しい旅立ちへ・・・」というブログ記事で
  向かおうとしているのは、まさにそういう話題さえも
  「多読的」に採り上げられないか、という提案です。

  (ブログの中ではまだ展開していませんが、
   一言だけ言及している「多読的精読」という話題です。)

* また、掲示板でも(まもなく新しくなります!)、
  Skypeおしゃべり会でも、少しずつ抽象的な話もできるように
  なるといいなと考えています。
  
  たとえばすでにことばについては蘊蓄オフがあり、
  次回からはミュージカルを語り尽くそうという企画です。
  
  蘊蓄もミュージカルも、これまでの掲示板の話題から
  すこし広がった話題と言えるでしょう。
  この方向はみなさんの参加を得て、少しずつ推し進めて
  いきたいと考えています。

  もちろん絵本の魅力は汲めど尽きせぬものがあり、
  児童書の奥深さはどんな論説文よりも底知れない場合があります。

  けれども、村に集う人たちが暮らしのあらゆる場面で
  日本語と外国語の両方で気持ちや考えを語り合えることは
  外国語と母語の両方を身につけることの当然の結果であり
  目標だと思われます。

  そのために、日本語で話すことはすべて外国語でも!
  というのが村の一つの目標です。

それでは、次の質問はまた次の投稿で・・・

In the meantime... Happy reading and listening!


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[楽] 731. Re: 続 誰も訊かないなら,質問させてください。

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2010/12/23(11:52)

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主観の新茶さん、みなさん、こんにちは!
さかい@tadoku.orgです。

さて、第2点の質問は ↓ こうでした。

>2 英語で思考しているか。
 さかいさんは,英語で会話できるかどうかを論点にしておられますが,そもそも,普段,英語で思考しておられますか。四六時中ではなくても,いつの間にか,英語で思考しているときがありますか?今,この投稿を読んでいるときに,英語で思考していますか。

  英語で思考しているかどうかを考えたことはありません。
  英語を使っているとき、つまり、本を読んだり、海外ドラマを観たり、
  外国人の同僚と話したり、emailを書いたりしているときは、
  たぶん英語で考えているのでしょう。
  なにしろ何語で考えているかと省みたことがないので、わかりません。

  日本語の投稿を読んでいるときには英語で思考していません。

> 私は,およそ物事を認識すること自体が,言語を必要としていると思っています。われわれは,言語でしか,ものを認識できないし,思考できないのです。そしてわれわれは,物事を認識しているということは,とりもなおさず,意識的にしろ,無意識的にしろ,すでに言語をもって思考していることになると思っています。

  ぼくは物事の認識に言語が必要かどうか、わかりません。

  動物は自分たちの外側の世界を認識していないのでしょうかね?
  なんらかの形で認識して、それに応じて行動しているとすると、
  動物も「ことば」を持たなくても、物事を認識していることに
  なるのではありませんか?

  動物だけではないと思います。
  人間だって、日常的に「言いたいことが口から出てこない」ことは
  よくあるのではありませんか? 

  ぼくには、あれはことばが「天網恢々疎にして漏らしている」実例のように
  思えます。ことばはおそらく非常に眼の粗い網であって、
  物事の存在の位置をきわめておおまかに指し示すだけなのではないでしょうか?
  逆に言えば、物事そのものを指し示すことはできない!

  さまざまな感情や、自然界の色や形、手触り、舌触りなど、
  ことばで表せない物事がほとんどで、ことばはごく部分的な伝達手段
  なのだろうと思います。あとは状況や表情や声の調子や、沈黙、体の姿勢など、
  いろいろなもの、あらゆるものを使っていると思います。

  どうでしょう?


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732. 返答は,ちょっと,質問の趣旨と,異なるのです。質問2は,同1と関係しているが,質問が明確でなかったかも,と反省します。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2010/12/25(18:02)

------------------------------

さかいさんへ。
主観の新茶です。
お忙しい中,回答ありがとうございます。

人は,一度に,いろいろなことを考えています。
一度にどれだけの事柄(複数の事柄)を,どの程度の内容で考えているかは,人の経験等によって異なります。

心に余裕のないときは,考える幅も狭くなりますし,経験及び教養の程度により,思考の多重性及び深化の程度は,異なります。

本問は,同時における思考の多重性という点なのです。

もちろん,その時間は,瞬間に限定されるのではなく,短時間であっても,ある程度の時間の幅のある思考の同時多重性についての質問なのです。

海外ドラマを理解する際,英語で思考しているとしても,日本語で,同時に,いろいろなことを考えていると思います。
いわんや,普段においておや,日本語で,同時に,いろいろなことを認識し,考えていると思います。

人の思考という高次的機能の中での話題であり,人間以外の動物の認識についての質問ではないのです。
もっとも,動物の認識と対比し,人間の認識は,どう同じか,どう違うか,どのような見解が,現在の人類の最新の知見であるか,そして,それについて,さかいさんが,どう評価されるかも,興味あるところです。

事実の認識は,動物でも人でも同じという,一義的なものでしょうか。

また,人の思考は,五官の作用による外界の事実の認識と,その事実に対する評価,直接五官の作用に依拠しない認識とその評価に分類されるとすると,どう考えるべきでしょうか。

現在の知的水準(学問)では,どう解釈されているのでしょうか。
それを踏まえての知見の披瀝であると思います。

短かく,わかりにくいコメントで恐縮です。
また,わかりやすく質問してみたいと思います。よろしく。

>さかい@tadoku.orgです。

>さて、第2点の質問は ↓ こうでした。

>>2 英語で思考しているか。
> さかいさんは,英語で会話できるかどうかを論点にしておられますが,そもそも,普段,英語で思考しておられますか。四六時中ではなくても,いつの間にか,英語で思考しているときがありますか?今,この投稿を読んでいるときに,英語で思考していますか。

>  英語で思考しているかどうかを考えたことはありません。
>  英語を使っているとき、つまり、本を読んだり、海外ドラマを観たり、
>  外国人の同僚と話したり、emailを書いたりしているときは、
>  たぶん英語で考えているのでしょう。
>  なにしろ何語で考えているかと省みたことがないので、わかりません。

>  日本語の投稿を読んでいるときには英語で思考していません。

>> 私は,およそ物事を認識すること自体が,言語を必要としていると思っています。われわれは,言語でしか,ものを認識できないし,思考できないのです。そしてわれわれは,物事を認識しているということは,とりもなおさず,意識的にしろ,無意識的にしろ,すでに言語をもって思考していることになると思っています。

>  ぼくは物事の認識に言語が必要かどうか、わかりません。

>  動物は自分たちの外側の世界を認識していないのでしょうかね?
>  なんらかの形で認識して、それに応じて行動しているとすると、
>  動物も「ことば」を持たなくても、物事を認識していることに
>  なるのではありませんか?

>  動物だけではないと思います。
>  人間だって、日常的に「言いたいことが口から出てこない」ことは
>  よくあるのではありませんか? 

>  ぼくには、あれはことばが「天網恢々疎にして漏らしている」実例のように
>  思えます。ことばはおそらく非常に眼の粗い網であって、
>  物事の存在の位置をきわめておおまかに指し示すだけなのではないでしょうか?
>  逆に言えば、物事そのものを指し示すことはできない!

>  さまざまな感情や、自然界の色や形、手触り、舌触りなど、
>  ことばで表せない物事がほとんどで、ことばはごく部分的な伝達手段
>  なのだろうと思います。あとは状況や表情や声の調子や、沈黙、体の姿勢など、
>  いろいろなもの、あらゆるものを使っていると思います。

>  どうでしょう?


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[♪] 735. Re: 返答は,ちょっと,質問の趣旨と,異なるのです。質問2は,同1と関係しているが,質問が明確でなかったかも,と反省します。

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/2(13:05)

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主観の新茶さん、こんにちは
さかい@tadoku.orgです。本日(1月2日)二通目のお返事です。

長くなるので、途中を省きますね。
省き方に問題があるかもしれませんが、
その場合はその旨おっしゃってください。

>本問は,同時における思考の多重性という点なのです。

  それはまったくわかっておりませんでした。

>もちろん,その時間は,瞬間に限定されるのではなく,短時間であっても,ある程度の時間の幅のある思考の同時多重性についての質問なのです。

>海外ドラマを理解する際,英語で思考しているとしても,日本語で,同時に,いろいろなことを考えていると思います。
>いわんや,普段においておや,日本語で,同時に,いろいろなことを認識し,考えていると思います。

  はい、そうですね。

>人の思考という高次的機能の中での話題であり,人間以外の動物の認識についての質問ではないのです。
>もっとも,動物の認識と対比し,人間の認識は,どう同じか,どう違うか,どのような見解が,現在の人類の最新の知見であるか,そして,それについて,さかいさんが,どう評価されるかも,興味あるところです。

>事実の認識は,動物でも人でも同じという,一義的なものでしょうか。

>また,人の思考は,五官の作用による外界の事実の認識と,その事実に対する評価,直接五官の作用に依拠しない認識とその評価に分類されるとすると,どう考えるべきでしょうか。

  これもご質問の意味がよくわかりません。

>現在の知的水準(学問)では,どう解釈されているのでしょうか。
>それを踏まえての知見の披瀝であると思います。

  いえ、現在の知的水準というのがどんなものか、あるのかどうかも知りません。
  あるとしても、それは未来には否定される、あるいは乗り越えられるでしょう。

  新茶さん、ぼくはいわゆる「学問」というものに、
  大きな疑問を持っているのです。
  特に社会「科学」、人文「科学」については疑問を持っています。

  中にはすばらしい知見を持った人もいるにちがいありませんが、
  あまたの論文や本からそうした人を探すのは大変です。

  それよりはぼくは実際に外国語を身につけようとしている人たちを見て、
  そこから自分で考えて、何が役に立つのは見つけたいのです。

>短かく,わかりにくいコメントで恐縮です。
>また,わかりやすく質問してみたいと思います。よろしく。

短くはありませんでした。
わかりにくいところはたしかにありました。

でも、別に急ぐ議論ではないので、
こうやってゆっくりやりとりしていけばいいと思います。


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[♪] 737. 3つめの質問にお答え

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/2(14:30)

------------------------------

主観の新茶さん、きょう4通目のお答えです。

新茶さんの3つめの質問にお答えします。

********************************

3 話題の欠如
 このtadoku.orgサイトの掲示板全体において,アメリカやイギリスの政治,
経済等の話が欠如しているのは,どうしてですか。そういう政治や経済等の
話のないレベルで,良いのですか。良いのなら,良いですよ。
たわいのない話題は,多いと思いますが。

********************************

これはまったく主観的なご質問だと思われます。

ほかにも欠如している話題は山ほどあるのではありませんか?

たとえば「株」の話は出てきませんね。

それから「自然保護」の話題もほとんどないようです。

「代替エネルギー」も一般的には大事な話題ではないでしょうか?

さらには「民主党」についても、「選挙」についても
まったく話題になりません。

逆に言えば「たわいのない話題」だって、もっともっとたくさんあるはずですね。

「昆虫」の話はどうでしょう? 「はやぶさ」の話・・・は、たわいなくないかな?
「AKB48」の話もまったくない・・・

いずれにせよ、話題に偏りがあるのは当然のことだと思います。

さらに違う観点から言うと、新茶さんがアメリカ、イギリスの政治経済の話題を
うまくもちかければ乗ってくる人がいるかもしれません。


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[♪] 738. 4つめの質問!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/4(12:11)

------------------------------

主観の新茶さん、みなさん、こんにちは!
さかい@tadoku.orgです。

4つめの質問と3つめの質問を両方引用します。

********************************

3 話題の欠如
 このtadoku.orgサイトの掲示板全体において,アメリカやイギリスの政治,経済等の話が欠如しているのは,どうしてですか。そういう政治や経済等の話のないレベルで,良いのですか。良いのなら,良いですよ。たわいのない話題は,多いと思いますが。

4 政治的,経済的,法律的,社会的,文化的,自然科学的,自然科学史的の見地から,総合的・体系的に物事を見ること
 英語を学ぶのも,上記の趣旨であると思いませんか。

********************************

3つめのお答えに書いたように、偏りがあるのは当然なのですが・・・

英語を学んで何をするかは、ぼくは関わるべきではないと考えます。
また、みなさんがどういう趣旨で英語を使おうと、ぼくには関われるはずも
ないことです。

すでに英語あるいはそのほかの外国語をtadokuで身につけて、
さまざまに使っている人がかなりの数います。

今後この村を訪れる人が増え、村人が増えれば、その中には当然
4 で新茶さんのおっしゃる話題に関する話も増えてくることでしょう。


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[♪] 740. 5つめの質問

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/8(21:08)

------------------------------

主観の新茶さん、みなさん、こんにちは!
さかい@tadoku.orgです。

新茶さんの五つ目の質問は次のようなものでした。

********************************

5 さかいさんは,大学に弟子はいますか。弟子に,ある程度,
  このtadoku.orgサイトを委任しないのですか。

********************************

* 例によって、「弟子」とはどういう人かという定義の問題になりかねませんが、
  ぼくには弟子はおりません。

* tadoku.orgサイトの運営についてのご質問はとても大事な点で、
  質問してくださったことを感謝します。
  この際(自分でもよく考えていなかったけれど)どうもぼくは
  こう思っていたらしい、ということを表明しておきます。

* 多少話題がずれそうな気がしますが、
  「委任」ということを、だれかにリーダーをお願いするということだと
  すると、弟子であれ、だれであれ、一人の人に委任は考えておりません。
  できれば 

    だれもリーダーがいないのにうまく運営されている 

  というのが理想です。

  でもいまはぼくというリーダーがいるわけですが、
  いつかリーダーのいらない理想的な状況になればと祈りつつ
  運営しているわけです。

  そして、村人のみなさんが、外国語を使って豊かにくらせるように、
  たがいに思いやりを持って交流していくこと、
  それが願いです。

* リーダーなしでそんなことが実現しようなんて、
  夢のまた夢でしょうか?

  いや、SSSの掲示板と書評システムはうまくいっていたと思います。
  リーダーらしいリーダーはいなかったのではないでしょうか?

  リーダーというよりはみんなが共有していたことがあり、
  それがみなさんの中でリーダーの役割を果たしていたのかもしれません。

  明快にこれまでにない方向を示した多読三原則と、
  いままでだれもやったことのないことをやっているという昂揚感
  そしてそこから蓄積された書評の数々。

  果たしてあの「冒険」をもう一度村が再現できるのか?
  再現できれば、村に「リーダー」はいらないでしょう。

    (思えば【新たな旅立ち・・・】もまた、一つの冒険ですね。
     うまく行くかどうか、それは考えないことにしましょう。
     さもなければ冒険ではありませんからね。)

  主観の新茶さんのおかげで、村の大事な前提が一つ明らかになってきました。
  ありがとうございました。


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[♪] 741. 6つめの質問

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/8(21:55)

------------------------------

みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

主観の新茶さんの6つめの質問です。

********************************

6 このtadoku.orgサイトには,英語の専門家の発言が,ほとんどないのでは。

********************************

もうすでにおわかりかもしれませんが、
ぼくは「専門家」というものを無条件に信用してはおりません。
「すでに専門家である」ということは「これまでの常識に囚われている」
ということのように思えますね。

そして信用できる「専門家」を探すよりもだいじな仕事が
ぼくにはあると思っています。

したがって、「英語の専門家」の発言があるか、ないかは、
新茶さんが指摘なさるまで考えたことがありませんでした。

多読からはじまったわたしたちの試みはこれまでの「専門家」には
ほとんど理解できない企てです。

「専門家」を概して信用しない一方で、
ぼくは「普通の人」に全幅の信頼を置いています。
「専門家」はそれが自分の職業であるために
「ゼロからの発想」とでもいうべきものが不得意です。
(ここはいろいろなことを含めて書いております。
 よろしく察してください。)
「普通の人」は職業ではないし、英語学習や英語教育について
先入観がない(結構先入観を持っている場合もありますが)ので
その意見や感想をじかに聞くと、外国語獲得の本当の様子を
推し量ることができます(と考えています。)

「普通の人」の外国語獲得を冷静にじっくり観察することが
最大限に実り多い研究になることを毫も疑っておりません。
そこから「専門家」の解釈を通じた研究は二の次、三の次と
考えております。

専門家の中でも「普通の人の外国語獲得」をつぶさに
観察している人であれば信用します。

ぼく自身も「専門家」であると考えたことはありません。
ぼくもまた「普通の人」でありたいと思っています。
ただ多読とtadokuによる外国語獲得の謎や可能性に強い関心があるです。
そして「専門家」ではなくぼくとおなじような関心を持っている
「普通の人」やtadokuの支援をする人たちを信用しています。

つい主観の新茶さんの刺激的な質問に誘われて、
普段はなかなか書かないことをかきはじめてしまいました。
今晩はこの辺で終わりにします。

みなさん、ながながとおつきあいくださり、ありがとうございました。

またあした、またはあさって・・・


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[♪] 742. 7つめ、8つめの質問

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/9(23:49)

------------------------------

主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

さて、7つめ、8つめの質問は次のようでした。

********************************

7 第二外国語研究者からの発言もないのでは?

8 翻訳家からの発言も,ないのでは? 

********************************

これは6つめの質問に対する答で足りると思います。

翻訳を仕事としている人の発言はありますが、
お仕事に触れていないかもしれません。

また、翻訳に関する蘊蓄オフ会は昨年かなり開いております。

で・・・

すでに同じようなお答えもしていますが?
そういう人からの発言はなければいけないでしょうか?

ほかにも発言のない人たちはいますね?

できれば新茶さんには、そういう人からの発言がないということが
どういうことを意味するとお考えか、書いてほしいと思います。


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[♪] 746. 9つめ、10ばんめ、11ばんめ です!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/14(23:37)

------------------------------

主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

9つめ、10ばんめ、11ばんめの質問は似ていました。

********************************

9 このtadoku.orgサイトは,全国的に,どのくらい注目されていますか。

10 ほかのサイトとの提携の話は,ないのですか。

11 ネイティブの人の参加が,ほとんどないと思われますが,どうしてですか。

********************************

9つめ

どうやって計るのかわかりませんが、見てくださるみなさんが
全国に散っていることは間違いないです。

そうではなくて、どのくらいの数の人が注目しているのかというと、
それはぼくにはわからないです。

一つ言えるのは、ぼくはいまの人たちで満足していること。
ものすごくさまざまな人たちがいて、いろいろなことをやろうとしていて、
いわゆる「学習法」では、英語を学ぶこと自体が目的のように見えますが、
多読村の村人たちはそうではない。外国語を使って、趣味や仕事を豊かに
していこうという意欲があります。

主観の新茶さんはみなさんにまだまだ不満を持っておいでのように
思われますが、いつか新茶さんが納得するような関心の広がりと
深さを見せてくれるようになるでしょう。

もっと増えるといいと思いますが、
ただ数が増えることには意味がないと考えています。

10ばんめ

ないですねえ・・・ そのうちあるかもしれませんね。

でも、連携できるような似たサイトが(いまは)ないということは、
I must be doing something right. 「いいぞ、いいぞ!」
という感じです。

多読村は多読村でなければできないことをやるところでありたいです。
そのために意味がありそうなら連携はありえますね。

うん、連携できるところがあるといいなあ!

11ばんめ

外国からの人が少ないのは残念だと思っていますが、
いまはまだ受け入れる態勢になっていません。
たとえば掲示板はスペイン語などでは文字化けするようです。

ただし「村営国際空港」という夢は数年前からあります。
いま最後の準備にとりかかっている 新しい「掲示板」つまり
フォーラムに変わると、各国語が利用できます。
いよいよ海外からの投稿や交流の扉が開かれることになります。

みなさんがそれぞれの関心や興味や趣味や仕事に関わることを
世界の人たちと意見交換、情報交換する場に発展するといいと願っています。
その際は新茶さんもぜひ交流に参加してくださいますよう・・・


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[♪] 747. 12番目の質問!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/18(00:25)

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主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

***************************

12 英語を学ぶ目的は,社会に役立つことをするためではないのですか?

***************************

それはみなさん一人一人にお任せしているつもりです。

みなさんが外国語を身につけることが社会に役立てば、望外の喜び、
ではありますが、最初からそれを期待して村を作ったわけではありません。

もっともっとささやかに、外国語を知っていて楽しい、うれしいという
気持ちになっていただけたら、ぼくとしては満足であります!


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[♪] 748. 13番目の質問です!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/30(15:22)

------------------------------

主観の新茶さん、みなさん、こんにちは!
さかい@tadoku.orgです。

だいぶ長い間お休みしていましたが、忘れたわけではありません!

13番目の質問は次のようでした。

********************************

13 英語の多読をするために,仕事中に英語を読んでいたという投稿がありましたが,どう思いますか。

********************************

別にどうとも思わないのですが、何か思うはずでしょうか?

主観の新茶さんはどう思われたのでしょう?


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[♪] 749. 14番目の質問です!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/30(15:25)

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13番目に続いて・・・

********************************

14 確か,学校の先生で,仕事をするのが嫌いであるという投稿があったと思いますが,どう思いますか。

********************************

これについてもなにも思わなかったようで、
ぼくはそういう投稿があったことを(読んでいるはずですが)覚えておりません。

「仕事が嫌い」というのは不幸だと思いますが、
その先生がどういう意味で言われたのかわからないので、
いまもなんとも感想はありません。

主観の新茶さんはどう解釈なさって、どう思われたのですか?


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[♪] 750. 15番目です!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/30(15:30)

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続いて15番目も!

********************************

15 「英語ができる」という表現は,不正確であり,使用すべきではないと思うが,
いかがですか。子供は,どこの国でも,まだ発展途上の人間であり,
母国語ができるとはいわない,と私は思います。よく,英語のネイティブは,
子供でも英語が話せるというが,私は,英語を話せると思っていない。
なぜなら,私のいう基準では,思考的に未発達であるからである。

********************************

主観の新茶さんの基準はどういうものですか?

ぼく自身は基準が緩いのか、こどもも母語を「できる」と言っていいと考えます。

母語を使って生きていけるというのが、おそらくぼくの基準なのでしょう。

ただし、おとながこどもと同じ程度の「でき方」では、まわりに迷惑を
かけるでしょうね。おとなにはおとなの基準が必要だと思われます。

そういう意味ではぼくの基準では 「年齢なりの暮らしができる」というのが
あることばが「できる」ということなのかもしれません。


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[♪] 751. 16番目!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/30(15:35)

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きょうは16番目の質問までにします。

********************************

16 会員は,高齢化しているのではないか。平均年齢は?。20代は,少ないのではないか。

********************************

「会員」というのがよくわかりません。
村には「会員」というのはいないので、「掲示板に書く人」という風に
理解していいでしょうか?

高齢化というのはちょっとおげさかなと・・・

村がはじまってまだ4年かな? 
4歳の年齢の積み重ねを高齢化とは言わないと思いますが、
掲示板に書く人の中に20代の人が少なそうだということなら、
それはSSSの掲示板もそうでした。

多読はまず社会人に歓迎されました。
あるときのアンケートに答えてくださった資料によると
30代、40代のビジネス・パーソン(というのだそうですが)が
いちばん多かったようです。それはおそらくいまも変わらないでしょう。

おそらくこれからも変わらないと思います。


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[♪] 752. 17、18、19、20、21番目の質問です!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/2/7(22:37)

------------------------------

主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

以下、関連があると思うので、まとめてお答えします。

***************************

17 さかいさんの方法でないと英語を習得できないと思っていますか?
その場合の英語の習得とは,どんな状態を意味しますか。

  思っていません。多読で英語が獲得できるかどうかは、
  まだわからないと思っています。

  多読・多読的リスニング・多読的スピーキング・多読的ライティングなどで、
  外国語がどんな風に身につくか、まだわかっていません。

  それでは木で鼻をくくるような答えなので、
  すこしだけ新茶さんの質問の方向と思われることを追加すると、
  いままでいろいろ試されてきたさまざまな方法の中では
  多読・・・ はいちばん有望だと思っています。

18 数百万人,数千万人に,多読を教えたと思っていますか。

  いいえ、思っていません。

   (新茶さん、そもそもぼくは「教える」気はないのですよ。
    人は教えられてどうにかなるというものではないと
    ぼくは思っています。

    新茶さんはぼくがいつも言っている「多読支援三原則」を
    ご存じでしょうか?

    いわく、「教えない、押しつけない、テストしない」
    というものです。したがって、ぼくが「多読を教える」ことは
    ありえませんね。)

  そうですね、数万人の人が多読のことを知ったと思います。

19 どのくらいの人数の人が,このブログを見ているのですか。
一度でも見た人を含めるのは,適当ではないと思われます。
たとえば,一月に一度は,見るという人は,どのくらいの人数がいますか。

  まったくわかりません。
  これはもう本当にまったくわかりません。

  そして、ぼくはわからなくてもちっとも気になりません。

20 さかいさんの存在,またはさかいさんが多読を提唱したことを
知らずにいる人は,どのくらい多いと思いますか。
人口の何パーセントくらいが,知っていると思いますか。

  ぼくが存在すること、多読を提唱したことを知らない人が
  多読をするようになることがぼくの夢です。

  なぜ、新茶さんはそうやって、「知られること」にこだわるのかなあ?
  そんなことはぼくにとってはどうでもいいことで、
  むしろ掲示板やメールやオフ会で、
  「多読をやってよかった」と知らせてくれること、
  「もっと楽しく読んだり、聞いたり、話したりするにはどうしたら
  いいでしょうか?」と尋ねてくれること、
  それで十分です。

21 さかいさんの説く方法論とは知らないのに(または,さかいさんの
存在は知っているだけで,影響を受けずに),10代,20代で,
英語を習得していく日本人が増加したと思いませんか?

  増加していると思います。
  外国人と接触する機会が増えましたからね。

さて、今晩はここまで!


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[♪] 753. 22番目の質問の答です!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/2/12(23:14)

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主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!

22番目の質問はこうでした・・・

***************************

22 勉強,努力という言葉が嫌いですか。酒井さんにとって,それらの言葉の定義は,何ですか。
 私は,漢学者の一海知義さんが述べるように,勉強,努力,勉励は,ほぼ同じ意味の言葉であると思います。
 一海知義さんは,「勉励は,楽しめるときは,思い切り楽しむということが,その中に含まれている。あえていえば,無理をしてでも楽しむ,というふうに私には読めます。」と言っておられます。漢語の知識,岩波ジュニア新書,P2〜8,「勉強」の項目参照。
 だから,私は,端的に,勉強,努力,勉励とは,いずれも,強いて楽しむ意味であると理解しているのです。
 その場合,強いて楽しむというのは,自ら強いて楽しむという意味なのです。
 現代でも,勉強等の用語は,基本的には,上記意味で使用すべきである,と私は思っています。
 私の親の代は,勉強していると,その親から,勉強していないで,家の仕事を手伝えと言われた時代ですから,他者によって,「嫌々勉強させられる」という用法が出てきたのは,歴史的には,最近であり,かつ,歴史的にいつまで続くかわからない用法であると思っています。
 ところで,「無理をして」とか「強いて」という言葉の後には,「楽しむ」という言葉がひっつかないと思われる方もいるようですね。漢文や古文に対する理解力というか,日本語の感性の問題ですね。

***************************

「勉強」ということばは嫌いでも好きでもありません。
すべては勉強に伴う態度次第ですね。

そこで、あまりすすめられないなあ、という勉強の仕方を「お勉強」と呼び、
勧めはしないがかならずしも害はないかもしれない態度でする場合を
「勉強」と言い分けております。

ただしこんなささいな違いはわかりにくいと思うので、
その意味ではっきりしろ! と言われたら、「勉強」は嫌いと言います。
なお、この区別をほかの人に勧めたことはありません。

なお、勉励ということばはぼくは使いません。
これからも使わないでしょう。
無理をしてでも楽しむ? それはよくわかりません。
ぼく自身は無理をして楽しんだことがないからかもしれませんが。


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[♪] 754. 最後の質問まで一気に!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/2/13(01:06)

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主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

23番目から最後までは関係のある質問でもあり、
まとめて答えるとよいタイミングでもありますので・・・

***************************

23 学内の行政には,関わってこられたのですか。

24 最終講義は,されるのですか。どのような題目ですか。

25 研究成果は,いままで,どのような研究として,発表されていますか。

26 研究成果は,今後,どのように発表されるのですか。

***************************

*23 実に鋭い質問で、敬服します。

  おそらく主観の新茶さんにもなんらかそうした方面の経験がおあり
 なのだろうと推察します。

  電気通信大学に就職したのは30才直前でした。
  で、数年後には大学の様子がわかって、
  「学内行政には絶対関わりたくない」と思いました。

   (大学というところにがっかりしたのはそれだけではありませんが)

  そこで、35才くらいだったと思いますが、
  教授にされないように(行政に関わらなくていいように)
  論文は書かないことにしました。

   (ほかにも上に書いたさまざまな「がっかり」が関係していますが)

  35才くらいのときの決意が30年後に、強まりこそすれ、まったく揺らいで
  いないことは、われながらすごいと思います。

  ぼくを教授にしようという「圧力」はその後何度も繰り返されました。
  「教授にならないと後悔するよ」という諭しもありました。
  最近後輩に「酒井さん、わたしはもう疲れました」と相談を持ちかけられて、
  「教授になるのをやめさえすれば、すっきりさわやかだよ」と
  悪魔の誘いをしました。本当にそうなのです。
  
    (その代わり、たしかに不都合なことも多い。
     でも、名誉とお金を放り出すことで、なにもかもどれほど簡単明瞭に
     なることか! 決してすすめはしませんが、強くすすめます!!) 

*24 最終講義はしないつもりでした。けれどもすることにしました。

  最終講義というものはぼくは一度も聞きに行ったことがなくて、
  それに、そういう風に大学というものを見限っているので、
  いまさら35年の大学生活を振り返って聞かせたいとは思っていなかったのですが、
  つい最近「酒井さん、毎週いろいろな人が来てるじゃないですか、
  ああいう人たちに来ていただいたら?」という誘いがあり、
  突然、最終講義をやることにしました。

  でも、花束も、講義終了後の「懇親会」もなしにしてもらおうと考えています。
  そして土曜日の午後にやることにしました。
  そうすると大学の関係者はよほど物好きでなければ来ないと思うからです。

  で、何について話すかというと、多読仲間のみなさんに、
  「さかいは大学でいったい何をしていたのか?」を
  知っていただこうと考えています。

  そういう「非常識な」人間が多読を言い出したのだということ、
  そして「非常識な」さかいが考え出した多読がどれほど「非常識な結果」を
  もたらして、外国語学習の常識をひっくり返そうとしているかを
  お話しします。

  なお、当日は先日の村祭りで残った本を売り出すフリーマーケットを
  ぼく一人で開催したいと考えています。

  最後はオフ会かな? 楽しみ!

*25 そういうわけで研究成果そのものも発表の仕方も非常識です。

  まず、ぼくのやっている「研究」はたいていの大学の先生には研究とは
  思えないでしょうね。

  まず第一に先行研究というものを信じない。
  (かっこよく言うと、だれでも自分の城は自分で見つけた土地に、
   自分で築くものだと思っております。)

  また、新しい考え方には新しい研究方法が必要だと考えています。
  というより、だれにでもわかる研究方法からは新しい研究分野は
  生まれるわけはないと思うのです。

  その研究方法は、(そんじょそこらの)学者にはわかるわけがない。

  (ぼくの研究方法を理解するにはそれなりの洞察が必要だろうと
   考えております。そういう英語の学者にはまだ会ったことがない。)

  ぼくの知っている「学者」と言われる人たちはクラッシェンさんをのぞいて、
  みんな普通の研究方法に則って、これまでの英語学習を精密にしようという
  人たちばかりです。

   (実はクラッシェンさんも普通の研究方法に則ろうとした。
    そのために後年いわゆるバッシングに遭ったとぼくは考えます。)

  ではぼくの研究方法(ぼくは自分を研究者と考えています)は
  どういうものかというと、要するに、ぼくという人間が深く関わったもので
  いわゆる「キャッカンテキ」ではないのです。

  数字はせいぜい「撒き餌」として提出するだけ。
  数字よりも、たくさんの例を冷静に見ることと、そこに共通する要素を
  直感で判断することを大事にします。

  ではほかの人はどうやってぼくの研究を信頼するのか?

  数字を出さないので、ぼくを信頼してもらうほかありません。
  たとえばリボンちゃんに表れた変化を見て、
  そこから読み聞かせや多読と関係があるのだろうかと考える。

  ゼロからはじめた人が英語の仕組みについて鋭い洞察を聞かせてくれると
  そんなことがどうして可能なのか、考える。

  シャドーイングで意味の区切りが体で解るようになったという人がいれば、
  それはどうしてなのだろう、多読や多聴やシャドーイングの何が
  それをかのうにしたのだろうと考える・・・

  それがぼくの研究です。

*26 したがって、その研究成果の発表は今後もいわゆる学術論文ではありません。

  いままでぼくが書いた本が研究成果の発表の場であり、
  みなさんと掲示板やオフ会やメールで話し合うことが発表の場です。
  ぼくの研究に意味があれば、それはみなさんの内側の変化として
  「表れる」ことでしょう。それをみなさんが報告してくださると、
  ぼくはぼくの研究のチェックができ、さらに洞察を磨くことができます。

  ほかの「学者」にはとても「研究発表」とは見えないだろうけれど、
  学問の方法に新しいやり方を考えつかない人たちが
  新しいやり方を認識できないのは仕方のないことです。
  それはそれでちっともかまいません。  
  ぼくはほかの学者に認められるために研究しているわけではないので。

主観の新茶さん、お返事を待っております。
ほかのみなさんもぜひなんでも投稿してください。

もちろんぼくの返事そのものがこんなに遅れたのだから、
急いでお返事やご意見をくださいと言っているわけではありません。
いつかそのうち、せっかく滅多に書かないことを書く機会を
くださったのだから、さらに話が深まることを期待しています。
いつか、そのうち・・・

In the meantime, 楽しい読書を!


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769. 日々の実践が研究であった,ということでしょうか。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2011/7/2(14:03)

------------------------------

 拝啓 7月となりました。
 酒井さん,こんにちは。ご無沙汰しております。
 (主観の)新茶です。

>  ほかの「学者」にはとても「研究発表」とは見えないだろうけれど、
>  学問の方法に新しいやり方を考えつかない人たちが
>  新しいやり方を認識できないのは仕方のないことです。
>  それはそれでちっともかまいません。  
>  ぼくはほかの学者に認められるために研究しているわけではないので。

>主観の新茶さん、お返事を待っております。
>ほかのみなさんもぜひなんでも投稿してください。

>もちろんぼくの返事そのものがこんなに遅れたのだから、
>急いでお返事やご意見をくださいと言っているわけではありません。
>いつかそのうち、せっかく滅多に書かないことを書く機会を
>くださったのだから、さらに話が深まることを期待しています。
>いつか、そのうち・・・

 丁寧なご回答,ありがとうございます。
 全部には答えられないので,一部について,お返事します。

 酒井さんが,実際に,大学で何をどのように研究してきたのか,具体的な記述に乏しいので,文章を読んでも,よくわからないというのが,感想でありますが,酒井さんの文章を素直に読むと,酒井さんは,「日々の実践が,研究であった。」と述べておられると理解しています。
 ここに実践とは,通常言われているところの,いわゆる教授のことです。
 具体的に言えば,「酒井さんが,大学生らに英語の授業をしていること」です。

 通常の学問的用語を使用すれば,一般に,大学の先生は,憲法23条の学問の自由について,高校までの先生と異なり,仝Φ罎亮由,研究発表の自由,6擬(教育)の自由の3つがあるといわれています。
 教授とは,教えるということですね。

 私は,酒井さんが,これまでのご回答において,「教えるということはしていない。」というのですから,本当は,「酒井さんの場合,教授が,同時に,研究ということだったんですね。」と言いたいところですが,それだと,酒井さんから,また,これまでの一部のご回答と同じく,用語の定義の記述で,ほとんど終始されてしまいかねないから,ここでは,「酒井さんの場合,実践が,同時に,研究ということだったんですね。」と書いたのです。

 酒井さんは,実践が研究であったわけですが,正確に言えば,実践のみならず,実践後に一人でなした考察あるいは実践後に他者と共に考えたことが,研究であるということになるわけですね。

 そして,酒井さんは,研究発表の自由については,筑摩書房から出した3冊の本で研究を発表し,研究発表の自由を発露されましたが,それ以外に,学内で論文を書いて掲載するというような研究発表の自由は,自らの意思で,放棄されたのですね。

 学問の自由は,以上の3項目の他,もうひとつ,「研究教育機関の自由」,すなわち,従来「大学の自治」といわれている項目があります。酒井さんは,大学行政に関わらなかったため,「研究教育機関の自由」のうち,研究教育の内容・方法及び対象については,酒井さん自らに限り自由奔放に振る舞った。しかし,酒井さんは,そのほか通常いわれているところの「研究教育機関の自由」のうち,教員人事権,施設管理権,学生管理権,財政管理権には,関わってこなかったようだと思われます。

 私は,以上のように,理解しました。
 私の理解で正しかったでしょうか。
                                               草 々


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[♪] 770. Re: 日々の実践が研究であった,ということでしょうか。

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/7/2(22:05)

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わー! 主観の新茶さん、ひさしぶりです! うれしいです!!
さかい@tadoku.orgです。

ところがきょうはもう寝てしまいます。
後日ゆっくり、しっかりお返事します。

これからもよろしくお願いします!!


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771. 24番目の質問は,酒井さんの最終講義の有無についてでしたが,酒井さんは,別の場所で,ドーデの最後の授業になぞらえていました。田中克彦,鈴木孝夫,菅原克也の三氏について。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2011/7/5(19:52)

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 酒井さんへ。新茶です。

 酒井さんが,最終講義について,「ドーデの最後の授業」を引き合いに出されたが,実際に最終講義を行ったか,この掲示板では,明確ではないようにみえる。
 私が,探し損ねているだけかもしれない。

 田中克彦氏は,著書「ことばと国家」において,「背景をよく考えてみると,ドーデの最後の授業は,言語的支配をさらけ出した,文学などとは関係のない,植民者の政治的扇情の一篇でしかない。」と酷評している。P127。

 「ことばと国家」は,1981年に出版されたが,最後の授業は,それまで日本の国語の各教科書に使用され,かなり人口に膾炙していたのに,この田中氏の指摘により,1985年ころまでには,一斉に日本の教科書から消えてしまったようだ。

 現在,35歳前後から下回る人達は,ドーデの最後の授業を知らないだろう。
 しかし,それ以前の日本人の中には,幼心を突き動かされ,涙した人もいたに違いない。
 田中氏に言わせれば,おそらく,笑止千万なことであろう。
 田中氏は,酒井さんと同じく,一橋大学の出身であり,酒井さんより,約10歳年上である。

 酒井さんは,田中氏の言語学者,国の言語政策等に対する痛烈な批判として,最後の授業が例示されていたことを知っていたのであろうか。
 酒井さんは,ドーデの最後の授業が,フランスのドイツ語圧迫政策に基づくことを知りながら,自らの最終講義について,ドーデの最後の授業に比肩したのであろうか。
 
 ところで,田中氏は,鈴木孝夫氏を意識し,鈴木氏を強烈に批判する。
 鈴木氏は,われ関せずという風情を装ったが,内心は,田中氏を意識した。
 
 田中氏と鈴木氏は,遂に,対談し,互いの学問的認識を深めた。

 菅原克也氏の「英語と日本語のあいだ」は,多読を薦める主張である。
 菅原氏は,辞書と文法を重視する多読である。
 それ以外に,いろいろ有益な示唆があるから,一読の価値はある。
 菅原氏の本を読んで,酒井さんの方法が,適切でないと思われた方もあるだろう。

 菅原氏は,酒井さんを意識しているだろう。
 なぜなら,酒井さんの本を前提とした用語を使用していると思われるからである。

 しかし,菅原氏は,酒井さんのことに,何も触れない。
 菅原氏は,酒井さんを無視している。
 酒井さんも,菅原氏を無視している。
 酒井さんは,菅原氏を知らず,没交渉といった方がよいのかもしれない。

 酒井さんと菅原氏は,田中氏と鈴木氏のような対話が持てる可能性は少ないであろう。残念なことである。
 しかし,私は,酒井さんも菅原氏も,互いに大人であり,英語など言語の学習を広めることにより,社会に有益な資となりたいと思っているのであれば,対話をしてみるのが相当であろうと思うのである。

追記
 私は,酒井さんも,菅原氏も,似ているところがあると思う。
 私は,一部だが,両氏に共通の欠陥があるようにも思う。
 たとえば,「一対一の対応」という用語の使用法は,考え方そのものの欠陥だと思うのである。
 しかし,そんな大それたことは,充分思考してからでないと,言えない。
 私の思考浅薄か否か,充分熟考してから,述べることとしたい。


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768. 所要のため,約半年間,ご無沙汰いたしました。多くのことに丁寧にお答えいただき,ありがとうございます。32冊の本。仮説の設定,検証及び再考による意思決定について。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2011/7/2(13:50)

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 酒井さんへ。主観の新茶です。

 酒井さんには,多くの質問に対し,普段は話さないことをも含め,多くのことに丁寧にお答えいただき,ありがとうございます。

 ところで,私は,いろいろな事項について,まず,自らの仮説を明確化し,書籍などで仮説を検証し,我が仮説の維持,修正または変更等を意思決定します。
 簡単にいえば,さまざまな事項について,自分の考えが何かを明確にし,書籍等でその適否を確認し,再考するということです。

 私は,酒井さんのご回答などを端緒とし,仮説の検証及び再考を行うため,以下の32点の書物等を参考にいたしたいと存じます。

 全て入手しやすい,いわゆる新書であり,私が既に読んだものも,未だ読みかけのものもあります。
 本件に関連する,新書より版型の大きな書籍で,私の手元にあるものは,32点の新書より,もっと数が多いが,記載を省略します。

 酒井さんは,これまでのご回答によれば,ここ数年,1〜2冊の専門書を除き,冒険小説等の娯楽小説は読むが,それ以外の本は,和洋を問わず,読んでいないと言われているように思われますが,違っておりましょうか,読んでいないと額面どおり,受け取って良いものやら,実際は,いかがでしょうか。
 下記の32点の書物のうち,読んだものは,どれほど,おありでしょうか。

項目順に並べる。
[外国語の学習について]
1 鈴木孝夫,「日本人はなぜ英語ができないか」,岩波新書,1999年。
2 鈴木孝夫,「日本語と外国語」, 岩波新書,1990年。
3 菅原克也,「英語と日本語のあいだ」,講談社現代新書,2011年。
4 白井泰弘,「外国語学習の科学」,岩波新書,2008年。
5 ネウスプトニー,「外国人とのコミュニケーション」,岩波新書,1982年。

[言語・ことばについて]
6 丸山真男・加藤周一,「翻訳と日本の近代」,岩波新書,1998年。
7 鈴木孝夫,「ことばと文化」,岩波新書,1973年。
8 田中克彦,「ことばと国家」,岩波新書,1981年。
9 今井むつみ,「ことばと思考」,岩波新書,2010年。
10 黒田龍之助,「はじめての言語学」,講談社現代新書,2004年。
11 鈴木孝夫,「教養としての言語学」,岩波新書,1996年。
12 トラッドギル,「言語と社会」,岩波新書,1975年。
13 ディクソン,「言語の興亡」,岩波新書,2001年。
14 池上嘉彦,「記号論への招待」,岩波新書,1984年。
15 山口昌男,「文化人類学への招待」,岩波新書,1982年。

[社会科学との関係について]
16 丸山真男,「日本の思想」,岩波新書,1961年。
17 高島善哉,「社会科学入門」,岩波新書,1954年。
18 大塚久雄,「社会科学の方法」,岩波新書,1966年。
19 大塚久雄,「社会科学における人間」,岩波新書,1977年。
20 内田義彦,「社会認識の歩み」,岩波新書,1971年。

[言語とスポーツの比較について]
21 レイモン・トマ,「スポーツの歴史」,文庫クセジュ,1993年
22 多木浩二,「スポーツを考える」,ちくま新書,1995年。
23 松井良明,近代スポーツの誕生,講談社現代新書,2000年。

[その他関連事項について]
24 齋藤誠,「競争の作法」,ちくま新書,2010年。
25 大竹文雄,「競争と公平感」,中公新書,2010年。
26 依田高典,「行動経済学」,中公新書,2010年。
27 岩田靖夫,「ヨーロッパ思想入門」,岩波ジュニア新書,2003年。
28 川北稔,「イギリス近代史講義」,講談社現代新書,2010年。
29 川北稔,「砂糖の世界史」,岩波ジュニア新書,1996年。
30 碧海純一,「法と社会」,中公新書,1967年。
31 渡辺洋三,「法とは何か」,岩波新書,1998年。
32 白川静,「詩経」,中公新書,1970年。

なお,上記の32点の新書を年代順に並べる。
1 高島善哉,「社会科学入門」,岩波新書,1954年。
2 丸山真男,「日本の思想」,岩波新書,1961年。
3 大塚久雄,「社会科学の方法」,岩波新書,1966年。
4 碧海純一,「法と社会」,中公新書,1967年。
5 白川静,「詩経」,中公新書,1970年。
6 内田義彦,「社会認識の歩み」,岩波新書,1971年。
7 鈴木孝夫,「ことばと文化」,岩波新書,1973年。
8 トラッドギル,「言語と社会」,岩波新書,1975年。
9 大塚久雄,「社会科学における人間」,岩波新書,1977年。
10 田中克彦,「ことばと国家」,岩波新書,1981年。
11 山口昌男,「文化人類学への招待」,岩波新書,1982年。
12 ネウスプトニ,「外国人とのコミュニケーション」,岩波新書,1982年。
13 池上嘉彦,「記号論への招待」,岩波新書,1984年。
14 鈴木孝夫,「日本語と外国語」, 岩波新書,1990年。
15 レイモン・トマ,「スポーツの歴史」,文庫クセジュ,1993年
16 多木浩二,「スポーツを考える」,ちくま新書,1995年。
17 鈴木孝夫,「教養としての言語学」,岩波新書,1996年。
18 川北稔,「砂糖の世界史」,岩波ジュニア新書,1996年。
19 渡辺洋三,「法とは何か」,岩波新書,1998年。
20 丸山真男・加藤周一,「翻訳と日本の近代」,岩波新書,1998年。
21 鈴木孝夫,「日本人はなぜ英語ができないか」,岩波新書,1999年。
22 松井良明,近代スポーツの誕生,講談社現代新書,2000年。
23 ディクソン,「言語の興亡」,岩波新書,2001年。
24 岩田靖夫,「ヨーロッパ思想入門」,岩波ジュニア新書,2003年。
25 黒田龍之助,「はじめての言語学」,講談社現代新書,2004年。
26 白井泰弘,「外国語学習の科学」,岩波新書,2008年。
27 今井むつみ,「ことばと思考」,岩波新書,2010年。
28 齋藤誠,「競争の作法」,ちくま新書,2010年。
29 大竹文雄,「競争と公平感」,中公新書,2010年。
30 依田高典,「行動経済学」,中公新書,2010年。
31 川北稔,「イギリス近代史講義」,講談社現代新書,2010年。
32 菅原克也,「英語と日本語のあいだ」,講談社現代新書,2011年。

 このように年代順に並べると,おもしろいことがわかる。

 50年代1冊。60年代3冊。70年代5冊。80年代4冊。90年代8冊。2000年代5冊。2010年代6冊である。現在は,2011年である。

 私は,1990年代から,「知の爆発」が起こったと考えているが,70年代は,知の爆発たる「前提の知」が,整った時代であるとも考えている。50年代,60年代は,まだ,「知の模索」の時代であった。80年代は,やや「知の停滞」の時代であるが,次の「知の爆発」の階段に移る「知の爆発の準備」段階であったともいえる。1990年の東西冷戦の終了のころから,「知の爆発」が始まったのである。

 「知の爆発」は,いわゆる「パラダイムの変更(変換)」ともいえる場合もあるが,「知の爆発」=「パラダイムの変更」が具体化し加速したのは,2000年前後からであろう。
 したがって,読むべき本は,70年代か,または,90年代以降が多いということになろうし,21世紀になってから出された本の比率は,一層高くなる。

 上記の書物の比率は,たまたま,私の今述べた見解に符合しているように見える。
 それがおもしろい。



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