24番目の質問は,酒井さんの最終講義の有無についてでしたが,酒井さんは,別の場所で,ドーデの最後の授業になぞらえていました。田中克彦,鈴木孝夫,菅原克也の三氏について。

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/7/19(14:55)]

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771. 24番目の質問は,酒井さんの最終講義の有無についてでしたが,酒井さんは,別の場所で,ドーデの最後の授業になぞらえていました。田中克彦,鈴木孝夫,菅原克也の三氏について。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2011/7/5(19:52)

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 酒井さんへ。新茶です。

 酒井さんが,最終講義について,「ドーデの最後の授業」を引き合いに出されたが,実際に最終講義を行ったか,この掲示板では,明確ではないようにみえる。
 私が,探し損ねているだけかもしれない。

 田中克彦氏は,著書「ことばと国家」において,「背景をよく考えてみると,ドーデの最後の授業は,言語的支配をさらけ出した,文学などとは関係のない,植民者の政治的扇情の一篇でしかない。」と酷評している。P127。

 「ことばと国家」は,1981年に出版されたが,最後の授業は,それまで日本の国語の各教科書に使用され,かなり人口に膾炙していたのに,この田中氏の指摘により,1985年ころまでには,一斉に日本の教科書から消えてしまったようだ。

 現在,35歳前後から下回る人達は,ドーデの最後の授業を知らないだろう。
 しかし,それ以前の日本人の中には,幼心を突き動かされ,涙した人もいたに違いない。
 田中氏に言わせれば,おそらく,笑止千万なことであろう。
 田中氏は,酒井さんと同じく,一橋大学の出身であり,酒井さんより,約10歳年上である。

 酒井さんは,田中氏の言語学者,国の言語政策等に対する痛烈な批判として,最後の授業が例示されていたことを知っていたのであろうか。
 酒井さんは,ドーデの最後の授業が,フランスのドイツ語圧迫政策に基づくことを知りながら,自らの最終講義について,ドーデの最後の授業に比肩したのであろうか。
 
 ところで,田中氏は,鈴木孝夫氏を意識し,鈴木氏を強烈に批判する。
 鈴木氏は,われ関せずという風情を装ったが,内心は,田中氏を意識した。
 
 田中氏と鈴木氏は,遂に,対談し,互いの学問的認識を深めた。

 菅原克也氏の「英語と日本語のあいだ」は,多読を薦める主張である。
 菅原氏は,辞書と文法を重視する多読である。
 それ以外に,いろいろ有益な示唆があるから,一読の価値はある。
 菅原氏の本を読んで,酒井さんの方法が,適切でないと思われた方もあるだろう。

 菅原氏は,酒井さんを意識しているだろう。
 なぜなら,酒井さんの本を前提とした用語を使用していると思われるからである。

 しかし,菅原氏は,酒井さんのことに,何も触れない。
 菅原氏は,酒井さんを無視している。
 酒井さんも,菅原氏を無視している。
 酒井さんは,菅原氏を知らず,没交渉といった方がよいのかもしれない。

 酒井さんと菅原氏は,田中氏と鈴木氏のような対話が持てる可能性は少ないであろう。残念なことである。
 しかし,私は,酒井さんも菅原氏も,互いに大人であり,英語など言語の学習を広めることにより,社会に有益な資となりたいと思っているのであれば,対話をしてみるのが相当であろうと思うのである。

追記
 私は,酒井さんも,菅原氏も,似ているところがあると思う。
 私は,一部だが,両氏に共通の欠陥があるようにも思う。
 たとえば,「一対一の対応」という用語の使用法は,考え方そのものの欠陥だと思うのである。
 しかし,そんな大それたことは,充分思考してからでないと,言えない。
 私の思考浅薄か否か,充分熟考してから,述べることとしたい。


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