日々の実践が研究であった,ということでしょうか。

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/7/19(15:10)]

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769. 日々の実践が研究であった,ということでしょうか。

ユーザ名(Username): 主観の新茶
日時: 2011/7/2(14:03)

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 拝啓 7月となりました。
 酒井さん,こんにちは。ご無沙汰しております。
 (主観の)新茶です。

>  ほかの「学者」にはとても「研究発表」とは見えないだろうけれど、
>  学問の方法に新しいやり方を考えつかない人たちが
>  新しいやり方を認識できないのは仕方のないことです。
>  それはそれでちっともかまいません。  
>  ぼくはほかの学者に認められるために研究しているわけではないので。

>主観の新茶さん、お返事を待っております。
>ほかのみなさんもぜひなんでも投稿してください。

>もちろんぼくの返事そのものがこんなに遅れたのだから、
>急いでお返事やご意見をくださいと言っているわけではありません。
>いつかそのうち、せっかく滅多に書かないことを書く機会を
>くださったのだから、さらに話が深まることを期待しています。
>いつか、そのうち・・・

 丁寧なご回答,ありがとうございます。
 全部には答えられないので,一部について,お返事します。

 酒井さんが,実際に,大学で何をどのように研究してきたのか,具体的な記述に乏しいので,文章を読んでも,よくわからないというのが,感想でありますが,酒井さんの文章を素直に読むと,酒井さんは,「日々の実践が,研究であった。」と述べておられると理解しています。
 ここに実践とは,通常言われているところの,いわゆる教授のことです。
 具体的に言えば,「酒井さんが,大学生らに英語の授業をしていること」です。

 通常の学問的用語を使用すれば,一般に,大学の先生は,憲法23条の学問の自由について,高校までの先生と異なり,仝Φ罎亮由,研究発表の自由,6擬(教育)の自由の3つがあるといわれています。
 教授とは,教えるということですね。

 私は,酒井さんが,これまでのご回答において,「教えるということはしていない。」というのですから,本当は,「酒井さんの場合,教授が,同時に,研究ということだったんですね。」と言いたいところですが,それだと,酒井さんから,また,これまでの一部のご回答と同じく,用語の定義の記述で,ほとんど終始されてしまいかねないから,ここでは,「酒井さんの場合,実践が,同時に,研究ということだったんですね。」と書いたのです。

 酒井さんは,実践が研究であったわけですが,正確に言えば,実践のみならず,実践後に一人でなした考察あるいは実践後に他者と共に考えたことが,研究であるということになるわけですね。

 そして,酒井さんは,研究発表の自由については,筑摩書房から出した3冊の本で研究を発表し,研究発表の自由を発露されましたが,それ以外に,学内で論文を書いて掲載するというような研究発表の自由は,自らの意思で,放棄されたのですね。

 学問の自由は,以上の3項目の他,もうひとつ,「研究教育機関の自由」,すなわち,従来「大学の自治」といわれている項目があります。酒井さんは,大学行政に関わらなかったため,「研究教育機関の自由」のうち,研究教育の内容・方法及び対象については,酒井さん自らに限り自由奔放に振る舞った。しかし,酒井さんは,そのほか通常いわれているところの「研究教育機関の自由」のうち,教員人事権,施設管理権,学生管理権,財政管理権には,関わってこなかったようだと思われます。

 私は,以上のように,理解しました。
 私の理解で正しかったでしょうか。
                                               草 々


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