[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2021/3/7(17:15)]
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ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/3/30(20:38)
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みなさま
いづこです。
この投稿はまず、fionaさんと、グリーンさん宛とさせていただきます。
さかいせんせはあーとーでー♪
(ゆっくりのほうがいいですよね?)
fionaさん、グリーンさん、レスいただきありがとうございました。
◆ fionaさん
>かなりご無沙汰なので、書こうかどうか迷ったのですが、特に「精読」については捉え方が違うみたいなので書いておきます。
>(私の捉え方が正しいのかどうかは不明ですけれど)
多読、精読、その他の言葉について、ちゃんとした定義があるはず、あるべき、と考える方もいると思いますが、
わたしは、定義はひとそれぞれなのでは?と思っていまして、
だから何か投稿するときは、
「私は**とは・・・ということだと思っているので、この件に関しては###と考えます」と
書こうと思っています。
つまり、正しいも正しくないもないのではないかと・・・
>まず、「多読」の方は…。
>多読と言うのは、私の場合、「日本語と同じように」、もしくは「日本語と同じような感覚で」英語などを扱うことと捉えています。
>いきなり難しいところから、ではできないので、それなりに易しいところから始めれば、そのうちに出来るようになる。
>まあ、そんなものじゃないの、と思っています。
ええと、「多読」の定義として書いてくださったのは、この上の部分だとお見受けしましたが、
(以下の部分は補足のご説明と思いました。)合っていますでしょうか。そうだとして・・・
「なるほどー。」と思います。
>文法の勉強とか、単語の暗記とかは、それをした方が近道じゃないかと思ってやっているように見えます。…が、本当に近道なのかどうか不明。
>どうなんでしょう?
私だけの意見として聞いてくださいね。
「近くないー。」と思います。
>文法なんか、本に書いてあることは、実際の文章に含まれているものの一部だけだし、細かなところは変わって行くし…。
実際の文章じゃなかったりもしますよ。
その文法の説明をするために作られた短文。
その文があてはまる場面が全然思い浮かばない。
無理をして考え出すと笑えて、返って楽しかったりしますけど♪
>すでに知っていることの整理程度に、「適当にさらっと」は良いかも知れませんね。
>ただ、よく知らない言葉の場合は、文字の読み方(ハングルとかアラビア語とか)は、一応勉強した方が良さそう。文法も、骨格くらいは知っていた方が便利かも…。
>…と言う感じです。
最初の投稿にも書きましたように、
自分からそう思った人だけが、いつでも撤退できるスタンスで、文法を勉強するのはよいと思います。
学校で6年以上、有無をいわせず勉強させられる、しかもテストがある。←これ、なんとかならんもんかしら・・・
と、思っています。
>「精読」については、文法をひねくり回したり単語をいろいろひっくり返したりすることが、なぜ「精読」になるのか良く分かりません。
あー、そうですね。「精読」の定義はよく考えずに最初の投稿をしていましたが、
「文法をひねくり回したり・・・云々」は、「英語教育」の分野での定義、と言えるのかもと思いました。
言い換えると、「=学校英語での英語の読み方」もしくは「=学校英語での読み方の影響を受けた英語の読み方」と
言えそうな気がします。
日々の生活におけるふつうの読書(日本語ふくむ)での精読は
>私は、文章に書いてある「中身」を細かく正確に捉えたり、感じ取ることが「精読」だと思っています。
こういうことですよね。
「国語の授業での、教材文の読み方」を指して、日本語の「精読」と呼ぶ人は・・・、
いない、かな。いなさそうですね。
>「中身」が大事なのであって、うわっつらの「文法」や「単語」のことは、中身が分かるなら必要ないのではないかと?逆に「文法」や「単語」にこだわりすぎたら、「中身」がおろそかになって、「精読」どころか「中身を無視したいいかげんな読み」になってしまいそうな気がします。
>なぜ、文法解析をしたり単語を細かく調べるのが「精読」なんでしょう?
>これは、単なる「言語オタク」的読み方で、普通の人にとっては「中身」が大事なのではないかと思います。
>「中身」を読みたいのに、うわっつらのことをゴチャゴチャとやられては、面白くないというか苦痛です。そのうえ、「中身」に興味のないものを無理に読まされたりしたら…。
>(「言語オタク」的読み方も、興味があるなら、研究や趣味としては良いと思いますが、普通の読み方ではないですよね…。)
ここまで来て、ワタクシ、今一度自分の元投稿を確認してみました。
「どこまでも多読で〜」と言っているところが、
「精読はせずに」と読めましたか?
そうですね。そこ辺り、「精読」を「お勉強」と定義しているようですね。
でも。
わたしの「多読」は、いろいろなものを含むようになってきている、という辺りは、
そんなこんなをしているうちには「さらっと読んで深くわかる」が起こるのでは?と書きました。
これで、「中身がわかる」(ことがある)ということが言いたかったのです。
つまり、多読で始めて多読しているうちに、
fionaさんのおっしゃるような、一般的意味の精読にもなる。と。
さかいせんせーの「深くわかる」も、「精読になっている」ということではないでしょうか。
fionaさんの「精読」には、何か「方策」がありますか?
もちろん日本語の方でいいですよ。
「精読」しようとすると、何か特に気をつけることがありますか?
私も自分の日本語読書で考えてみました。(あまりたくさんは読みませんが。)
まず、日本語の本では「読みなれるための多読」は考えていませんよね。
精読するかどうかは、読み始めてから決まるようです。
「面白い!」と思えば、のめりこんで読む。
あんまり・・・と思えばつまみ読みする。または投げる。
精読の方策としては・・・「睡眠を削る」かな。
わたしの「精読」はやはりただの結果論のようです。笑
fionaさんありがとうございました。
◆ グリーンさん
>私がよく分からないのは、「深くわかる」っていうところなんですけど・・
>深く分かるって自分でわかること?日本語を読んでいる場合に「さらっと読んで深くわかる」を当てはめてみたけど、やはりよくわからない。日本語は単語も文法もわかっているわけでしょ?で、さらっと読むこともまあ、出来ます。でも「深くわかる」という感覚はよくわからない。
ああ〜!
私、「正しく」じゃない、というのが何しろ嬉しくて「深く」の妥当性をあんまりよく考えていませんでした!
ちょっと考えてみましたところ、
ある程度、私のイメージはありましたので、いっちょ聞いてやってください。
でも、それを表すのに「深く」でいいのか?というツッコミをいただくかもしれません。
そして、賛成できない、という方もおありと思います。すみませんが・・・
「深い」か「深くない」かは、わたしにとって「感動があるか」「ないか」です。
「さらっと読んで深くわかる」は「一読しただけでも、感動する」です。
と考えてみて、この意味の場合は、
「さらっと読んで(も)深くわかる」と、「も」が入った方がいいかな、と思いました。
これだと、「感動する内容のない文章」は精読?できないことになります。わはは〜?。(<おい)
でも、説明文のような文章でも、感じることはありますし。
ORTを読み始めたばかりの子どもでも、
読んで何か「わぁ〜。」などと感じることがあれば、それは「深くわかっている」と呼びたいです。
やっぱり「多読(概念)=tadokuとなるか?」 の中に「深くわかる」は偏在するといえるかも!
グリーンさんありがとうございました。
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