[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2021/1/26(11:02)]
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ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/3/29(23:20)
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いづこさん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。
やっと返信しようと思ったら、もう次の投稿!
そちらも大返信したいのだけれど、ちょっと待ってください!
こっちが先・・・
>さかいせんせー、こんばんは。いづこです。
>> 「さらっと読んで、深くわかる」
>この定義における私のお気に入りポイントは
>「さらっと読んで、「正しく」わかる」でなく、「深く」なことです。
>私は、最近ますます、「正しく」わかるのを求めることに興味を失っています♪
まったくその通りであります。
で、ぼくはいづこさんに指摘されてはじめて、
「そうだ! そこだよな、大事なのは!」と思いましたよ。
>しかし〜、さかいせんせー、今回あらためて思いあたりました。
このあと・・・ ↓ もっと早く言ってくれるよかったのに・・・
と思いましたが、ぼくがあまりに鈍かっただけのことですね。
>「さらっと読んで、深くわかる」
>というのは、「多読的精読」ではなく、「精読的多読」なのではないでしょうか??
なるほど、です。
なるほど「・・的精読」というから、
今まで通りの「精読」の変形と思ってしまうんでしょうね。
>「多読的精読」の話題を待つ方たちの興味は、どんなふうに「行う」のが「多読的精読」なのか?
>ということなのではないでしょうか。(違っていましたら申し訳ありません。)
いや、ぼくにも違っているかどうか、わからないのですよ。
でも、言われてみるといづこさんの言う通りのように思えます。
>ある程度(かなり?)「多読」して、その後にどう進むことが可能なのか?
>その道の一本として、期待されているのかな、と。
>もちろんそれを待っている人ばかりでなく、もういろいろにつき進んでいる方たちも多いと思いますが。
>さかいせんせーならどうなのか?という興味をお持ちの方がいらしゃるのかな、と。
>そうだとしたら、「さらっと読んで、深くわかる」だと、結果論的な響きを感じるので、
>どういう方策で?というものがあるようには感じられない気がします。
>多読をしていて、深くわかるときもあれば、深くはわからないけれど・・・というときもある。
うーん、鋭い突っ込みですね。
考えてもみなかったことばかりで、おたおたしてます。
でも、これもその通りで、
方策というのは、考えていなかった。
>結局「どこまでも多読!」ということでしょうか?そうならば、それはそれでいいなと思います。
多読をしていればいつか「多読的精読」に至ると思ってました、だれでも。
>あ、でも「方策」として、
>>*さらっと読んで、深くわかるには、
>> 劇薬シャドーイングでことばのリズムやメロディーを体感することがいちばん
>> かもしれません。まだ予感の段階ですが。
>と、示されていますね。
>まだ予感の段階であっても、「方法論」なのですね。(と、受け取っております。)
>わたしの「ひっかかり」は、ただ「多読的精読」という言い方についてだけのようです。
ところが、どうしても「精読」の影がつきまとう場合があるわけです。
これはもうつきまとう影を無理矢理切らなければ行けないかと思って、
劇薬シャドーイングを提案しました。
多読からそのまま「さらふか」(さらっと読んでふかーく分かる)に
達するのがむずかしいのは、過去のしがらみのせいではないか?
ならば、切ってしまえ! というわけです。
ただ乱暴なだけじゃなくて、をさなごはそうやってことばを吸収していく
と、ぼくは思います。(おとなでも、ぼくが講演の中で話す英語を
無意識に繰り返す人がかならずいます。)
意味もわからないことばを ま・ず・は・復・唱・す・る
そこで、リズムやメロディーを体にしみこませると、
ことばの持つ深い意味が溶けるように(?)体に入っていく?
>私としては、この意味で(さかいせんせーとは異なる意味で)
>>*そこでわたしはこれからは多読的精読という言い方を使うのはやめにしようと
>> 思います。
>ここ、さんせーです。
>
>で、代わりのことばは何になりますか?という興味もありますが・・・
>ま、いーです。笑
はい、「もっと早く」いづこさんの「精読的多読」を知りたかった。
いまはもう「精読」という「忌まわしい」表現そのものを
きっぱりと捨てようと思います。
で、代わりに使いたいことばは・・・ まだ、ない・・・
>今は昔、私も「多読的精読」に関するさかいせんせーや、みなさんのご見解を
>待っていたひとりだったと思います。(忘れかけています・・・汗)
>
>多読の次の段階として、だったのかな?たぶんそう。
>
>
>今、私は、
>ある人が英語を始めるなら「多読」で。
>ある程度のところまで「多読」で。
>そして
>終わりまで「多読」で行って、そこで英語と縁を切るのもよし、
>終わっているんだか続けているんだかわからない状態で「多読」を続けるもよし
>きっと自分に必要な次の段階は「文法だ」と、「文法」コースに入るもよし、そしてまた「多読」に戻るもよし。
>・・・みたいにできるといいのになあ〜、と思っています。
なるほど。
文法コースを行った人は何人もいますが、
だれも生還していない・・・
・・・は、嘘ですが、それで何か飛躍したという話は
聞いたことがないような?
「確かめることができた」ということは聞いたことがあります。
また、(すでに何度も書いていますが)ぼくの多読クラスの電通大生は
Grammar in Use を「楽しい」と言いますが。
>なお、私の定義する「多読」は、もういろいろなものを含むようになってきていて
>「読み聞かせ、歌、ミュージカル」や
>「多読、多聴、多観、多話、多書、シャドーイング」など、
>学校のカリキュラムと関係ないもの、自分(たち)の興味で素材など選べるもの、自分で関わりの程度を決められるもの
>問題を解かないもの、正しいとか間違っているとかあなたの英語はどの程度とか、判定を他者から受けないもの
>・・・などの総称として、概念を表すことばとして使ってしまっております。
わぁー!!! ぼくもそうなので、だから tadoku と
アルファベットで書いたりするのです!!
よい総称ですね。
さっき代わりに使いたいことばがないと書きましたが、
みなさんが構わなければ tadoku という表記もあるかなと
秘かに思っていますが・・・
しかしこれはわかりにくいだろうなあ・・・
いづこさん、どう思います?
>こんなふうにできるのなら、
>「さらっと読んで深くわかる」のは、
>ねらうことではなく、ときどき、そしてやがてしょっちゅう起きること、になるのではないかなあ〜。
はい。まったくその通りだと思います。
ある日突然「さらっと読んで ふかーくわかる」ようになるわけではなく、
だんだんだんだん 深くなっていくんでしょうね。
>「多読的精読」について
>昔は待っていたかもしれないのですが、
>もう、(与えてもらうものとして)待ってはおりません。
>でもさかいせんせーが発表されたら、興味を持って読ませていただきます。
>そして自分に取り入れらることなら、取り入れるぞ、という姿勢で、てぐすね引いて待っております。
>では〜。
>いづこ
ありがとう。
こうやって意見交換をするのはぼくにとって上善です。
どんと書いて、どんとぶつかってきて、どんと返す・・・
これからもよろしくお願いします。
(じゃなかった、次の返信があります。でもきょうはもう寝ます・・・)
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