[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2021/3/4(17:47)]
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ユーザ名(Username): いづこ
日時: 2011/3/29(00:24)
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さかいせんせー、またまたこんにちは。
ひとりいろりばたにさかいせんせーをよびだすいづこです。
先日は、最終講義の前日に空気の読めない投稿をしてすみませんでした。
思いつきを書いただけなので、お返事はどうかお気遣いなく。
今回の「ぴっかぴっかのいっちねんせー」に関しても、もそうだったりします・・・。(思いつき〜)
以下の推測は、このケースにあてはまらないのかもしれないですが。
ワタクシ、最近算数の方にも手を出しておりまして
「算数」も、どうやら「英語」と同じく
「標本」化しているのじゃないか?
と思っております。
足す引く掛ける割るの四則計算は、計算問題としてそこに並ぶとただの「標本」なのです!
最近は、スモールステップ、多量で機械的な処理を提供するワークやドリルに慣れている子どもが増えていて、
ひとつひとつが合っていてもらえるマル
全部合っていてもらえる花マル、
おとうさん、おかあさんのほめことば、などが嬉しくて
どんどん進んでいける子も多いようですが、
やっぱり子どもにもいろいろなタイプの子がいるのです。
そのいちねんせーちゃんは、「6たす3」に、物語を求めているのじゃないかなー、と思います。
それも、標本化を前提とした文章題でなく、
ちゃんと、わくわく興味の持てる物語。その中にある、6に3を足す必然性。6に3を足す意味が見えること。
そういうことをたくさん感じてからでないと、計算する意味がわからないのかもしれません。
それはとってもまともなことだと思います。
ワークやドリルを心から楽しくてやっている子はいいですが、
本当は「物語」を楽しみたいタイプなのに、ドリルのマルの嬉しさにはめられている子が、
結構いるのじゃないかなあ。
問題文を「理解」しない、それはとりもなおさず、「わかっていない」のだと思います。
学校の教科書の文章題は、標本化を前提としたもののようです。
一問(数問?)やりかたが説明されていて、
問題文の前の方から数字をひろって、説明の例題と同じ符号(+−×÷)をはさんで、
機械的に数字を並べて計算する。
その単元を抜けたあとは、その意味を忘れてしまう。
前学年の全範囲から出題されるテストなどでは、考えかたなどまったくワカラナイ!
「標本vs.物語」の問題は、英語だけでなく、算数の問題でもあったようです。
あ、ブログにかかれたいちねんせーちゃんについては、
>なんと一桁の足し算ができるらしいと判明。
とのことでしたので、それはきっと、何か(実績を示すもの?)で「できる」ことがわかったのだと思いますので、
上に書いたことはあてはまらないのかもしれませんが。
で、結局ワタシは、
英語も算数も、きっと他の教科も、
「物語」のない標本ドリルの大量機械的処理の訓練が
結局は、子どもたちを「ちゃんとわかる」ことから遠ざけていないかなー、
もしかしてそれが学力低下の原因?
とか
思っているのでした。
いづこ@いつもエラソーにすみません でした。
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