最後の質問まで一気に!

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/5/25(18:27)]

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[♪] 754. 最後の質問まで一気に!

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/2/13(01:06)

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主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。

23番目から最後までは関係のある質問でもあり、
まとめて答えるとよいタイミングでもありますので・・・

***************************

23 学内の行政には,関わってこられたのですか。

24 最終講義は,されるのですか。どのような題目ですか。

25 研究成果は,いままで,どのような研究として,発表されていますか。

26 研究成果は,今後,どのように発表されるのですか。

***************************

*23 実に鋭い質問で、敬服します。

  おそらく主観の新茶さんにもなんらかそうした方面の経験がおあり
 なのだろうと推察します。

  電気通信大学に就職したのは30才直前でした。
  で、数年後には大学の様子がわかって、
  「学内行政には絶対関わりたくない」と思いました。

   (大学というところにがっかりしたのはそれだけではありませんが)

  そこで、35才くらいだったと思いますが、
  教授にされないように(行政に関わらなくていいように)
  論文は書かないことにしました。

   (ほかにも上に書いたさまざまな「がっかり」が関係していますが)

  35才くらいのときの決意が30年後に、強まりこそすれ、まったく揺らいで
  いないことは、われながらすごいと思います。

  ぼくを教授にしようという「圧力」はその後何度も繰り返されました。
  「教授にならないと後悔するよ」という諭しもありました。
  最近後輩に「酒井さん、わたしはもう疲れました」と相談を持ちかけられて、
  「教授になるのをやめさえすれば、すっきりさわやかだよ」と
  悪魔の誘いをしました。本当にそうなのです。
  
    (その代わり、たしかに不都合なことも多い。
     でも、名誉とお金を放り出すことで、なにもかもどれほど簡単明瞭に
     なることか! 決してすすめはしませんが、強くすすめます!!) 

*24 最終講義はしないつもりでした。けれどもすることにしました。

  最終講義というものはぼくは一度も聞きに行ったことがなくて、
  それに、そういう風に大学というものを見限っているので、
  いまさら35年の大学生活を振り返って聞かせたいとは思っていなかったのですが、
  つい最近「酒井さん、毎週いろいろな人が来てるじゃないですか、
  ああいう人たちに来ていただいたら?」という誘いがあり、
  突然、最終講義をやることにしました。

  でも、花束も、講義終了後の「懇親会」もなしにしてもらおうと考えています。
  そして土曜日の午後にやることにしました。
  そうすると大学の関係者はよほど物好きでなければ来ないと思うからです。

  で、何について話すかというと、多読仲間のみなさんに、
  「さかいは大学でいったい何をしていたのか?」を
  知っていただこうと考えています。

  そういう「非常識な」人間が多読を言い出したのだということ、
  そして「非常識な」さかいが考え出した多読がどれほど「非常識な結果」を
  もたらして、外国語学習の常識をひっくり返そうとしているかを
  お話しします。

  なお、当日は先日の村祭りで残った本を売り出すフリーマーケットを
  ぼく一人で開催したいと考えています。

  最後はオフ会かな? 楽しみ!

*25 そういうわけで研究成果そのものも発表の仕方も非常識です。

  まず、ぼくのやっている「研究」はたいていの大学の先生には研究とは
  思えないでしょうね。

  まず第一に先行研究というものを信じない。
  (かっこよく言うと、だれでも自分の城は自分で見つけた土地に、
   自分で築くものだと思っております。)

  また、新しい考え方には新しい研究方法が必要だと考えています。
  というより、だれにでもわかる研究方法からは新しい研究分野は
  生まれるわけはないと思うのです。

  その研究方法は、(そんじょそこらの)学者にはわかるわけがない。

  (ぼくの研究方法を理解するにはそれなりの洞察が必要だろうと
   考えております。そういう英語の学者にはまだ会ったことがない。)

  ぼくの知っている「学者」と言われる人たちはクラッシェンさんをのぞいて、
  みんな普通の研究方法に則って、これまでの英語学習を精密にしようという
  人たちばかりです。

   (実はクラッシェンさんも普通の研究方法に則ろうとした。
    そのために後年いわゆるバッシングに遭ったとぼくは考えます。)

  ではぼくの研究方法(ぼくは自分を研究者と考えています)は
  どういうものかというと、要するに、ぼくという人間が深く関わったもので
  いわゆる「キャッカンテキ」ではないのです。

  数字はせいぜい「撒き餌」として提出するだけ。
  数字よりも、たくさんの例を冷静に見ることと、そこに共通する要素を
  直感で判断することを大事にします。

  ではほかの人はどうやってぼくの研究を信頼するのか?

  数字を出さないので、ぼくを信頼してもらうほかありません。
  たとえばリボンちゃんに表れた変化を見て、
  そこから読み聞かせや多読と関係があるのだろうかと考える。

  ゼロからはじめた人が英語の仕組みについて鋭い洞察を聞かせてくれると
  そんなことがどうして可能なのか、考える。

  シャドーイングで意味の区切りが体で解るようになったという人がいれば、
  それはどうしてなのだろう、多読や多聴やシャドーイングの何が
  それをかのうにしたのだろうと考える・・・

  それがぼくの研究です。

*26 したがって、その研究成果の発表は今後もいわゆる学術論文ではありません。

  いままでぼくが書いた本が研究成果の発表の場であり、
  みなさんと掲示板やオフ会やメールで話し合うことが発表の場です。
  ぼくの研究に意味があれば、それはみなさんの内側の変化として
  「表れる」ことでしょう。それをみなさんが報告してくださると、
  ぼくはぼくの研究のチェックができ、さらに洞察を磨くことができます。

  ほかの「学者」にはとても「研究発表」とは見えないだろうけれど、
  学問の方法に新しいやり方を考えつかない人たちが
  新しいやり方を認識できないのは仕方のないことです。
  それはそれでちっともかまいません。  
  ぼくはほかの学者に認められるために研究しているわけではないので。

主観の新茶さん、お返事を待っております。
ほかのみなさんもぜひなんでも投稿してください。

もちろんぼくの返事そのものがこんなに遅れたのだから、
急いでお返事やご意見をくださいと言っているわけではありません。
いつかそのうち、せっかく滅多に書かないことを書く機会を
くださったのだから、さらに話が深まることを期待しています。
いつか、そのうち・・・

In the meantime, 楽しい読書を!


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