[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2021/3/1(00:41)]
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ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/2/12(23:14)
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主観の新茶さん、みなさん、こんばんは!
22番目の質問はこうでした・・・
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22 勉強,努力という言葉が嫌いですか。酒井さんにとって,それらの言葉の定義は,何ですか。
私は,漢学者の一海知義さんが述べるように,勉強,努力,勉励は,ほぼ同じ意味の言葉であると思います。
一海知義さんは,「勉励は,楽しめるときは,思い切り楽しむということが,その中に含まれている。あえていえば,無理をしてでも楽しむ,というふうに私には読めます。」と言っておられます。漢語の知識,岩波ジュニア新書,P2〜8,「勉強」の項目参照。
だから,私は,端的に,勉強,努力,勉励とは,いずれも,強いて楽しむ意味であると理解しているのです。
その場合,強いて楽しむというのは,自ら強いて楽しむという意味なのです。
現代でも,勉強等の用語は,基本的には,上記意味で使用すべきである,と私は思っています。
私の親の代は,勉強していると,その親から,勉強していないで,家の仕事を手伝えと言われた時代ですから,他者によって,「嫌々勉強させられる」という用法が出てきたのは,歴史的には,最近であり,かつ,歴史的にいつまで続くかわからない用法であると思っています。
ところで,「無理をして」とか「強いて」という言葉の後には,「楽しむ」という言葉がひっつかないと思われる方もいるようですね。漢文や古文に対する理解力というか,日本語の感性の問題ですね。
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「勉強」ということばは嫌いでも好きでもありません。
すべては勉強に伴う態度次第ですね。
そこで、あまりすすめられないなあ、という勉強の仕方を「お勉強」と呼び、
勧めはしないがかならずしも害はないかもしれない態度でする場合を
「勉強」と言い分けております。
ただしこんなささいな違いはわかりにくいと思うので、
その意味ではっきりしろ! と言われたら、「勉強」は嫌いと言います。
なお、この区別をほかの人に勧めたことはありません。
なお、勉励ということばはぼくは使いません。
これからも使わないでしょう。
無理をしてでも楽しむ? それはよくわかりません。
ぼく自身は無理をして楽しんだことがないからかもしれませんが。
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