Re: よく読むと参考になります。第二外国語習得、言語学等の専門書の多読は?

[掲示板: ゆっくりじっくり、いろりばたの掲示板(仮称) -- 時刻: 2019/7/19(15:29)]

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[♪] 736. Re: よく読むと参考になります。第二外国語習得、言語学等の専門書の多読は?

ユーザ名(Username): さかい@tadoku.org
日時: 2011/1/2(14:20)

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新茶さん、本日三つ目のお返事です。
さかい@tadoku.orgです。

途中省略しようと思いますが、なかなか省略できなくて、
ほかの方には読みにくいかもしれません。
極力整理しながらお返事しようと思います。

> さかいさんへ。

> 新茶です、こんにちは!

>>  整理はほとんどしておりません。
>>  付箋をつけるだけです。
>>  (紙の付箋と電子的付箋の両方がありますが)

> そうなんですか。
> 論文や本を書くときには、一から、書き下ろしになりませんか。
> 普段から、メモや覚書、ある程度まとまった論考として、ワープロ内などに、書きとめておかないのですか。

  失礼! そういう整理はしていますね。

  ぼくの場合、コンピュータがなかったら本は書けないと思います。
  本の種みたいなものはいーっぱい書きためてあります。

>>> また,専門外の本と,専門の本に分けて,ここ最近読んだ,各10冊を教えていただければと思います。

>>  最近は専門の本はまったく読んでおりません。
>>  覚えているのは数年前に本を書く必要があって、
>>  大修館書店の「21世紀叢書」から語彙習得のなんとかという本などを
>>  数冊読んだくらいでしょうか。なお、専門は英語教育ということになっております。

> 英語語彙の指導マニュアル (英語教育21世紀叢書) 望月 正道 著 ですか?

> 英語教育に関し、第二外国語習得、言語学等について、内外で、過去も、最近も、多くの著書が出ているのではありませんか。

> 批判すべきについても、内容を理解し、整理して、批判すべきではないのでしょうか。

> 自分のこれまでの研究のやり方でよいのかどうか、現在の時点で、常に検証する意味でも、現在までの最新の知見の専門書を読むことは、必要ではないのでしょうか。

> 第二外国語習得、言語学等の専門書は、近時、かなり研究が進んでいるのではないですか?

> 専門書を多く読まないという研究ないし学問の態度は、もしそれが本当なら、どうしてそのような態度を採用されるのか、私には、まったく理解できません。

> 昔は、第二外国語習得、言語学等の専門書を多読したから、もう不必要という趣旨でしょうか。

  たくさんは読んでいませんが、まあそういうことですね。

  唯一Stephen Krashenさんの本はぼくにとって意味があると思いました。

  ただし、「意味がある」というのは、「正しい知見」だと思った、
  というのではありません。ぼく自身の「実感・知見」によく合うというだけ
  のことで、それが「客観的に正しい」などと言うつもりはありません。
  たまたまクラッシェンさんとおなじ意見だったというだけです。

  そのほかの人の本や文章で、ぼくにとって意味があったという人は・・・
  思い出せません。

  なお、ぼくは新茶さんの考える「学問」とはちがう「学問」をしていると
  思います。

  ぼくの「学問」の定義は「常識を覆す見方の追求」ということです。  
  したがって外国後獲得について世の常識がどういうものかわかれば
  それ以上読む必要はないわけですね。

  新茶さんは「学問」をどういう風にお考えでしょうか?

>>  専門外というと、最近は Michael Connelly, Sue Grafton, Sara Paretsky,
>> John Grisham, Carlos Ruis Zafon、Stieg Larsson の本ですね。
>>  (書名は長くなるので避けましたが、書名が必要であればそうおっしゃってください。)

> これは、カタカナを使わず、日本語では、どんな分野(複数可)といえばよいのですか。

> カタカナではない日本語では、冒険小説、推理小説、探偵小説、法廷小説などといえば、よいのですか。

  そうしたものですね。

> 12月23日の朝日新聞に、「遅読のすすめ」という論説「記者有論」が載っているのをお読みになりましたか。
> それには、主題と離れた傍論ですが、カタカナで、ミステリーというカタカナ語が書いてあります。
> ミステリー小説という日本語は、カタカナを使用しないと、「わくわく小説」と言えるのですか。

  どうでしょう。わくわくだけだと冒険小説もそうだし、
  ロマンス小説もわくわくするでしょうね。

> さかいさんの述べられた、このような小説は、仕事の合間か、息抜き、休息に読むものと思いますが。
> 読むべきものとして、メインの読書ではないと思われます。

  読むべき「メインの読書」というのは「学術書」ということなのだとすると、
  もちろん違います。息抜き兼「ことばの本質」を探るための試料精査、ですね。
  試料精査という意味では本当の意味で「メインの読書」です。
  学術書を読むことが「メイン読書」であってはならないのです、ぼくの場合。

>>> 上記の点を教えていただくという前提で,下記の点についても,haveの知見を取得するに役立つ方法論についての知見をお聞きしたいと存じます。

>>  ここです! ぼくが「実りある議論になりそう」と思う部分です。
>>  もっともそれは新茶さんの議論したいこととは違うかもしれませんが・・・

> したい議論には、異なる点と同じ点の双方があると思います。

  でしょうね。
  すこしでも同じ点があれば幸いです。

>>> もとより,英文を多読するという回答は,いつもの答えにある当然の前提であるから,英文の多読というような答えは,不必要です。

>>  いや、結局そこにぼくの議論は落ち着きそうですが、
>>  できるだけ避けるようにします。

> 多読の先が大事です。何をたくさん読むか。どれだけ深く考えるか。現実の現象をどのように捉えるか。
> そして、どう実践するか。これが大事だから、単に多読という答えは、不要と述べたのです。

> 私は、多読という舌足らずの言葉のために、いろいろな人が、同床異夢している、あるいは、呉越同舟していると思っています。
> 今述べた四字熟語は、舌足らずの言葉を使用しています。

  同床異夢も呉越同舟も当然のことです。
  避けることはできません。

>>> 私が,先に意見を述べないと,いけないでしょう。
>>> 私は,haveの役割(由来,意味その他いろいろな言い方があると思うが,それに拘泥されない)を知るには,.殴襯泪麑餌欧寮験茲箸靴討領鮖砲鮹里襪海(他の民族との比較においても),⊇衢などの意味を知ること(必ずしも法的意味に限定されず,社会学的意味,歴史的意味などを含む),インド・ヨーロッパ語族の歴史(言葉の歴史を含む)からhaveの由来を知ることなどが必要であると思います。

>>  その通りだと思われます。

> この点は、まだ、書いていませんが、書きたい論点です。
> 書いてみた後、点検のため調べる文献もあるので、騎虎の勢いで一気呵成に完遂する時間が必要です。

>>  (必要でしょうが、「多読」で得られる「知見」に勝るものではないと思っています。)

>>> ただし,正しい知見を獲得するための基本的なすべ(術)を持っていること等の事項は,当然の前提ですから,前提たることは,省きます。

>>  いえ、ここも意見は違います。

>>  ことばに関してはまだだれも「正しい知見を獲得するための基本的なすべ」を
>>  持ってはいないと考えています。

> 正しい知見を獲得するための基本的なすべ(術)とは、仮説と検証の論点です。

> さかいさんの多読に関する研究も、一定の仮説を設定し、その検証をしているわけでしょう。
> さかさんは、検証について、実験と称されていると理解しています。

> 言葉に関する知見も、仮説と検証という方法で、真実に迫るは、当然と考えます。

> 言葉に関してのみ、それができないと考える必要は、まったくないと思料します。

  「基本的なすべ」を仮説と検証とすれば、その通りです。

> さかいさんのご回答は、質問の意味を間違えている可能性が高いと思われます。

  そうですね。

> なお、仮説と検証等に代表される研究の方法論は、研究の前提となる基本的重要事項ですから、酒井さんの考えとこれまでの実践の概要をお聞かせいただけると、幸いです。

  以前は辞書と文法で外国語を身につけることができると考えていました。

  しばらく前からどうもそうではないようだと思うようになり、
  この10年間でそれはまちがいだと確信するようになりました。

  代わって、いま仮説として考えているのは「外国語を母語とおなじように
  獲得できるのではないか?」ということです。

  それはみなさんの報告を聞いたり、読んだりしながら、検証しています。

>>> なお,「haveの由来と意味」と題した最初の文の内容は,私が取得した知見のうち,の一部にすぎないということを,お酌み取りください。

>>> さかいさんは,haveについて,どんな人の書いた,どんな本を読むと,正しい知見を取得できるとお考えですか。

>>have についてであれ、be についてであれ、
>>英英辞典毎に意見が違うだろうと思われます。

> 私は、「どんな人の書いた、どんな本」の中に、辞典が入るとは思っていませんでした。

  失礼! 
  辞書はその時代の「常識」を表現していると思ったので、
  代表として挙げました。

> まずは、haveについて論じた本について、どんな人の書いた,どんな本を読むと,正しい知見を取得できるかと問うたのでした。

> その中に、辞典は、入りません。

> そういう前提なのですが、質問にお答え願えるでしょうか。

  どんな本を読んでも、「正しい知見」などはありえないと考えているのです。

  もっと言えば、「ことばをことばで説明することはできない」と考えています。
  説明のことばについて説明することばが必要になるだけですね。
  そして説明を説明することばの説明が必要になる・・・ ad infinitum.

>>「正しい知見」は存在しないか、存在してもまだ知られていないか、
>>知られていても、人によって「知り方」が違うだろうと思います。

>>また、これは今後の議論の話題になると思いますが、
>>「どんな人の書いた、どんな本を読」もうとも、
>>「正しい知見を取得」することはおそらく不可能だと考えています。

> これは、haveについての由来の知見に限定されるという趣旨ですか。
> 学問一般の話ですか?

  ことば一般についての知見に限定されると思います。
  もうちょっと広げて、社会科学、人文科学全般に広がる可能性もあります。

> いずれにしても、真実に迫ろうとして、行うものです。
> 不可能であると達観し、真実に迫ろうという営みがないのでは、人類の進歩もないし、学問もありません。

> そんな基本的事項から、確認し合わなければなりませんか。

  はい、そんな基本的な事項から確認する必要があると思います。

  というのは、ぼくの「学問」と新茶さんの「学問」はどうも異なるのでは
  ないかと思われるからです。

  上のぼくの定義では「学問は真実に迫るもの」ではありません。
  単に「常識を覆すもの」だからです。
  (↓ に続く・・・)

> 自然の法則のような存在する現象の知見ですら、仮説であると言われています。

  はい、そうです。まして社会科学、人文科学においては
  真実などどこにもなく、仮説ばかりです。

> いわんや、言葉についての考察は、存在を前提とし、その規範的評価にかかわることであり、特に、評価は、各人の主観的な要素に依拠するところも大きいから、存在についての知見も、評価についての知見も、真実に迫るため、真実に近づくため、仮説と検証という繰り返しになるのでしょう。

  その通りですね、ほぼ。

  ほぼ と書いたのは、真実は見つかるまい、少なくともことばについての真実は
  ことばで表現することはできないと考えているからです。

> さかいさんの、このような、ある意味で、横道にそれる話の進め方は、意識的なものであるかもしれないし、無意識的なものかもしれませんが、一定の特徴あるものであると、私は、思っています。
> それが、いけないというものではありません。
> なぜなら、そういう方法で、話が進展していく等と思えば、よいからです。
> さかいさんのやり方は、ここに投稿するほかの人が、意識的か、無意識的か、真似をする、その真似が、誇張され、投稿諸氏の投稿の応酬の過程において、良くない状況が発生した場合もあると、私は、思っています。

  かもしれませんが、ぼくは気がついてません。

  ただし、横道にそれているつもりはありません。
  ぼくにとっては新茶さんの言う横道こそ本道なのでしょう。

>>また、そうした「正しい知見」があったとして、
>>それを解説した本を読むことは、ことばを使うことにはなんの関係も
>>ないだろうと予想します。

> 一般的には、現在の最新の知見を獲得することは、最低限、必要な行為であると思います。
> その知見のない人との会話または議論は、噛み合わない可能性が高いと思われます。
> 噛み合わないとは、比喩です。
> 表現をぼかしたのです。
> したがって、所論のうち、仮に正しい知見があったとして、それを解説した本を読むことと、ことばを使うことには、場合により、関係があると思われます。

  あるかもしれませんが、大方の本は関係ないようです。

  また最新の知見がいちばん「真実に近い」かどうかはおおいに怪しいですね。

  典型的な例が「歯磨きは1日3回、3分以内に、3分間」という知見です。
  これはいまでは覆されて、1日1回 食後1時間に 5分間 というような
  (細部は異なっているでしょう)
  「最新の知見」にとって代わられたようで」す。

  自然科学的な「知見」でさえそうなのだから、社会科学、人文科学の
  最新の知見がどれほどの価値があるのか、推して知るべしです。

  リーマン・ショックのときにエリザベス女王がLondon School of Economicsを
  訪ねる機会があり、そのときに「どうしてだれもわからなかったの?」と
  尋ねたという話があります。

  経済の不調を予期できる学者がいるとすればLondon School of Economicsと
  女王は考えてそう質問したのでしょうが、おそらくだれも返答できなかったに
  ちがいありません。

>>なお、実際に会話をしたり、議論をしたり、本を読んだり、映画を楽しんだりするための
>>「実用的な知見を獲得」することは不可能ではないと思います。

> 上記文章は、「正しい知見を解説した本を読まないとしても」というような文章を補えばよいと仮定すると、正しい知見を解説した本を読まないとしても、日常会話をしたり、haveに関する深まった知見以外のすべての議論をしたり、本を読んだり、映画を楽しんだりするための「実用的な知見を獲得」することは、不可能ではないばかりか、まったくほとんど支障がないと思います。
> 不可能ではない、支障がないというのは、言わずもがなの前提と考えます。

> もっとも、その際、have、所有、持つなどの意味を、その言葉の由来に照らし、使用しているかどうかは、別個です。

> なお、実用的という言葉の内容にも依拠するが、つまり、この実用的という日本語でさえ、人によって考えている概念が違うという、同床異夢、呉越同舟の可能性がありますが、いずれにしても、さかいさんの言わんとする主旨及び趣旨は、私は、わかると仮定して進めます。

>>まさに木で鼻を括ったようなおこたえになりましたが、

> そうかもしれませんね。

>>ぼくのきわめて正直な、素直な答えです。

> そう思われます。

>>お返事を楽しみにしています!

> わたしの主旨に沿った投稿をします。それでは、また。

それではまた!


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