[掲示板: 本と音はどこにある?の掲示板 -- 時刻: 2021/2/26(06:41)]
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1992. Re: ドイツ語の多読されている方 いらっしゃいますか?
ユーザ名(Username): libelle
日時: 2011/6/22(23:30)
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こんばんは、酒井先生。libelleです。 思い出したようにやってきました。またかなり時間があいてしまい まいした。申し訳ありません。 >>こんばんは、酒井先生。libelleです。 >>お返事たいへん遅くなりました。 > いえいえ、何事も無理せず、風まかせ、潮まかせで・・・ > (さかいさんはそれに「人まかせ」がついていると、 > 実に鋭いコメントをもらったことがあります。 > 一言もない・・・) >>>>最初に較べたら、するする読んでいる感じがありますが、 >>>>レベルが上がって文が難しくなっているので、スピードは >>>>あまり変わっていない気もします。 >>>>でもまあ、読めた気になるのはうまくなったかもしれません。 >>> すばらしいです。 >>> 「読めた気になるのはうまくなった」は言い得て妙ですね。 >>> ぼくもよく学生に「英語の力が上がったのではなく、 >>> 読めないところが気にならなくなっただけだよ」と言います。 >>> でも、それはひじょーーーーに大事な一歩だという気がします。 >>> 日本の学校ではわからないところに注意が行き過ぎていたと >>> 思います。それはひじょーーーーーーに害が大きい! >>たしかに講読というか、要するに訳読をさせると、わからないところを >>解説したり、まちがいを直したりして、こちらとしては、いつか自分一人 >>でドイツ語を読むときに役立つ知識を伝えているつもりになりますが、 >>役に立っているかどうかは怪しい。そもそも、そういう授業をしても、 >>学生は自分からなにか読んでみようという気にはならないようです。 >>そういう気持ちになれなければ、どうやっても読めるようにはならない >>でしょう。 >>わからないところを一つ一つつぶそうとか、まちがえないようにしようとか、 >>そういう縛りはなくして、好きなように読んでみるという経験をしていかないと、 >>外国語の本を読めるようにはならないのかもしれません。 > 同感です。 > (ほとんどの英語の先生はなかなかそこに気がつかない。 > なぜかというと、自分は訳読で英語ができるようになったと > 思い込んでいます。そこで、読めるようにならない生徒や学生は > 「努力が足りない!」と一言で済ませて、自分の教え方を省みる > ことがない・・・) 「努力が足りない」とまでは思いませんでしたが、もうちょっと頭を使えない のか、と思うことはよくありました。少し考えればわかるだろう、と。でも、 その頭の使い方がわからないわけで、そこをどうにかしなければならないだろう とは思っていました。訳読という枠の中の話ですが。 >>それから、訳読をさせていつも思うのは、どうして場面とか状況とか、 >>話の流れを思い浮かべないのか、ということです。そうすれば、たいして >>悩まずともすぐにわかるはずなのに、なぜかそれができない。じゃあ、 >>彼らがなにをしているかというと、懸命に辞書を引いて訳語を並べ替えたり >>して、必死に日本語を考えているわけです。自分自身もそうやって読んで >>きましたから、ああ、からまわりしているな、というのは手に取るように >>わかります。どう日本語に置き換えるかにエネルギーを使ってしまって、 >>肝心の話が見えなくなっているのです。 >>辞書に載っている訳語に縛られ、(おそらくは不十分な)文法にとらわれて、 >>話そのものが読めなくなっているのなら、むしろ辞書なしで、場面や展開を >>想像しながら読む練習をしたほうが、ひょっとしたら本を読む力はつくのかも >>しれない、そう思うようになったのは多読をするようになってからです。 > これも、大賛成です。 > 訳読から「読める」に至る道はいわば ボトム・アップ ですよね? > 一つ一つの語がわかればそれをつなげて句がわかり、 > 一つ一つの句がわかればそれをつなげて文がわかり、 > 一つ一つの文がわかれば・・・以下同断で、本の内容がわかる > という信仰があると思います。 これは訳読しかしなくても、まちがいだとわかります。語がわかるには、 最低でも文の全体を見る必要があるからです。一つ一つの文だって、その 前の文があって、次の展開を前提にしているわけですから、一つの文を 越えたより大きな流れを想定、想像、憶測することなしには、理解できる はずがありません。辞書を引いてもわからない人は、そういうことをせず、 何の時間も流れていない、何も存在していない空間に、辞書の訳語だけを 持ってきて、なんとかしようとして挫折しているんです。あるいは、憶測や 予断を持ってはいけない、正確でなければならない、と、辞書の訳語を 絶対視してしまうタイプの人もうまく読めないだろうと思います。 と、とりあえず言ってみましたが、多読をしてみて訳読には見切りをつけたので、 もうどうでもいいと言えば、どうでもいいことでした。 日本語に訳して理解するというのは、けっきょく外国語を外国語のまま理解 できないから、とりあえずその場しのぎで日本語にして理解しているという だけのことで、それ以上の価値はないでしょう。だから、訳読はどこまで いってもその場しのぎにしかならない。日本語に置き換えて理解することを 繰り返しても、外国語をそのまま理解できるようになるとは思えません。 訳読というのは、外国語がわからないままでかまわない人、外国語を身につける 必要がない人の読み方であって、そういうものを教えても仕方がない。 で、外国語をそのまま理解できるようになるには、やはり、訳さずそのまま 読んで理解するような読み方をしていくほかない。というわけで、多読が よいという結論にいたる、です。多読を楽しんでいる方々には何をいまさら という話でしょうが。 自分自身を省みると、訳読はできる、それだけだな、という結論に。それで、 学生用に本を探しながら、自分でも多読でドイツ語をやり直しています。 2,3歳から10歳くらいを対象にした絵本・児童書、外国人向けの学習読み物で、 あわせると800万語くらいの分量になりました。単語の訳語はわかってしまう ので、とにかく何も考えないようにして読んでいるだけなんですが。 本は読んでくれる人がいないともったいないので、授業に差し障りがない範囲で (いろいろ制約があるかもしれません)、貸してかまわないとは思っていますが、 仙台です。 > (まあ、そう思うのはほとんど当然で、ぼくにしても > そうじゃないとわかったのは60歳ごろだと思うので、 > そのころにはたいていの英語の先生は引退しているか、 > 引退モードに入っている。 > わからないことへ、わからないことへ、と > 突っ走る先生は滅多にいません。) > ここ10年近く、みなさんの多読を見ていて、これまでのボトム・アップと > まったく逆の方向で「外国語獲得」が進んでいると確信しました。 > 訳読ボトム・アップでは 語 の段階で息が切れるか、 > せいぜい句のあたりではもうわかる気力をなくしますね。 > 文のレベルになるとすっかり 理解 をあきらめて、 > 訳文は支離滅裂・・・ > それに対して 多読トップ・ダウン では、細部はいくらわからない > ところがあっても、大きな場面や状況はぼやっとでも見えているので、 > 自分を見失わない、(勉強の気力が続く)、ような気がします。 「ここがわからない、あそこがわからない」ではなく、「ここがわかる、 あそこがわかる、ラッキー」くらいの気持ちで読めればいいのでしょうが、 訳読に慣れている人をそういう気持ちにさせるにはどうしたらいいのかが むずかしいですね。 >>>>>ドイツ語でも「多読授業」は可能でしょうか? >>>>まるでドイツ語を知らない無の状態から始めるのは >>>>おそらくむずかしいだろうと思います。英語と違って、 >>>>そういう人でも読める本がどこにあるのか、わかっていません。 >>>>小学生対象の読み方学習用の図書でも、一番やさしいもので >>>>1冊400語とか500語あります。それよりやさしいものとなると、 >>>>5歳以下対象の本から探さなければならないでしょう。 >>>>ところが、読み書きは公式的には小学校にあがってから >>>>習うことになっていますから、5歳以下対象の本は基本的には >>>>大人が読み聞かせるための本になります。文章が短くて >>>>やさしいとはかぎりません。 >>>>適切な本を見つけるには努力が必要でしょう。 >>> なるほど・・・ >>> 英語はその点で、ゼロからはじめやすいですね。 >>>>したがって、現状では、あらかじめドイツ語の知識をある程度 >>>>持っていなければ、そもそも読める本がない、ということに >>>>なるのでは、と思います。 >>> たしかにそうですね。知識をある程度持ってから >>> はじめるのが現実的ですね。 >>> mangaはどうでしょう? >>> ある人が数ヶ月後に親戚がドイツ人と結婚する式に出るので >>> ドイツ語版のmangaをたくさん読んで、なんとかなって帰って >>> きました。 >>> その人はまちがいなくゼロからでした。 >>> mangaやアニメをゼロ地点代わりに使う手はないでしょうか? >>読んだり見たりしたことがあって、内容を知っているmangaやアニメなら >>使えるかもしれないと推測はしますが、無の状態から多読をした経験が >>ありませんので、本当のところはわかりません。予備知識なしで多読を >>していらっしゃる方の意見を聞いたほうがいいかもしれません。 > 昔あずきさんという人がご親戚の結婚式のために無からドイツ語の > mangaを読みはじめたことがあります。半年くらいmangaだけで多読をやって、 > ドイツに行って、ちゃんと帰ってきました。 ドイツ語のmangaを十何冊か読んでみました。それほどやさしいとは思いませんが、 mangaを見せると、とりあえず学生は手を伸ばして開いてみるので、よいのだろうと 思います。読んでみようという気持ちが起こらないかぎり、なにも始まりませんから。 やはり日本語で読んだことのあるものはなんとか読めるようですが、はじめて 読むものについてはちょっと頼りないかも。 > もう一つ・・・ > わたしたちはみん無から日本語を獲得しましたよね? > 「こどもは別」という説がありますが、何歳からおとななのでしょう? > おとなの中に、もうこどもは住んでいないのでしょうか? > おとなの中にまだこどもが住んでいるなら、 > 上手に呼び出せば、そのこどもがおとなの外国語獲得を手伝ってくるれ > かもしれません。 > (「先生」に外国語獲得の手伝いができるとすれば、 > その「上手にこどもを呼び出す」ところかな?) > おとなが無からはじめた例もいくつかあります。 > 長くなるのでやめにしますが、ブログにも何度も書いている > Nさん、Aさんの例などは典型的ですね。 > (わからないことへ突っ走るぼくとしては > 上手にこどもを呼び出す方向へ進みたい!) 辞書も文法もなしで日本語を獲得したという実績が誰にでもある、と考える ようにしています。すでに実績があるんだから、これからだって。 mangaのことは上で言いましたので、以下はカットしてしまいます。 それではまた。
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